特集2/独学の建築家

現場の経験が後押しに

作品/後山山荘
設計/前田圭介

建築家になる前は工務店の現場監督だった前田圭介さん。そのときの経験をふんだんに生かし、地元・福山のシンボルとなるような建築をつくっている。その「後山山荘」にて、現場監督時代や、独立当初のお話を中心に聞いた。

聞き手・まとめ/伏見唯
写真/藤塚光政

建築家になれない挫折感

——前田さんはどういった経緯で建築を志したのですか。

前田圭介 父親の仕事が土木・建築関係だったので、泥くさいイメージをもっていた一方で、子どもながらに、ものづくりのエネルギーをなんとなく感じていました。ただ小さい頃から絵が好きでしたので、土木よりもう少し好きなものがつくれる分野、くらいの気持ちで大学の建築学科に進みました。いわゆる建築家、というものはほとんどイメージできていませんでした。最初の建築学科のイメージは、かっこいい建築家、というよりは建設現場という感じ(笑)。もちろん設計の授業は好きだったのですが、1~2年生の課題ではまったく評価されませんでした。そんななか、3年生のときに、「海外に行きたい」という単純な理由でルイス・カーンの建築を見学するツアーに参加したのです。そこで「ブリンモア大学女子寮」(1960~64)や「イエール大学英国美術研究センター」(69~74)などを見て、心から感動しました。光や素材の扱いに驚いたということもありますが、いわゆる「空間」というものも、初めて感じた気がしました。そのときに「自分も感動するものをつくりたい」と、意識的に建築家を志しました。そうした意識で授業に取り組んだ途端、大学の課題でも1等をとれるようになりました。

——意識の違いというのは、大きいものなのですね。その流れで設計事務所に就職することは考えなかったのですか。

前田 もちろん考えてはいたのですが、卒業の年にたまたま募集が少なかったこともあって、うまくいきませんでした。いろいろとタイミングが悪かったみたいです。当時は有名な建築家のもとで修業しないと建築家にはなれない、という風潮を感じていましたから、勝手にすごく挫折した気分でした。卒業してからは福山の実家に戻って、釣りをしていました(笑)。釣った魚を「晩飯!」とか言って母に渡したりしていたのですが、7月くらいになると大学まで出させてもらいながら職にも就かないのは、さすがに両親に申しわけないという気分になり、どこかに就職することにしました。

——数カ月で社会復帰できてよかったです(笑)。

前田 ええ(笑)。ただ設計ではないといっても、ものづくりにかかわりたいとは思っていましたから、工務店の現場で働くことにしました。そのときには、建築家の事務所に勤めていないので、何をすればいいのかもわからないし、「建築家にはなれない」という想いにとらわれていました。大学の頃は大好きだった建築雑誌も読まなくなりましたね。


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