特集2/独学の建築家

藤井厚二の
サンルームが守る
渾身の
現代建築

文/伏見唯

 広島県の東端に位置する福山市は、京都帝国大学(現・京都大学)工学部建築学科を創立した武田五一をはじめ、田辺淳吉や藤井厚二などの著名な建築家たちのゆかりの地である。なかでも藤井は、「くろがねや」という福山で清酒・保命酒の醸造業を営む豪商の家の次男であり、とくに福山と地縁の深い人物であった。周知のとおり、藤井厚二は京都・大山崎の自邸「聴竹居」(1928)を建てた人物であり、気候や風土に適した住宅を追い求めたことから環境工学の先駆者ともいわれている。その藤井が建設に携わったと思われる建築が「後山山荘」。藤井の兄であり、くろがねや当主・藤井與一右衛門の別荘である。修復と改築は、やはり福山の建築家・前田圭介さんが行った。
 前田さんが改築を始めたとき、この住宅はほとんど倒壊に近い状態だったという。しかしそのような状態でも、はっきりと藤井厚二が携わったことを物語る南側サンルームは倒壊を免れて残っていた。大山崎の「聴竹居」は通気や採光などの自然のエネルギーを生かした、まさに建築環境工学の先駆的な発想が数多く盛り込まれているが、そのうちの大きな特徴のひとつが、光を全面に受ける南側にサンルーム(縁側)を設けているところである。夏は居室への直射を和らげ、冬は暖かいサンルームになる。客の多い財界の巨星(藤井與一右衛門)の別荘であるから、全体としては自邸のようにモダンデザインで覆うことができなかったとしても、環境への志向はしっかりと果たされたのだ。そんな藤井を象徴するような部屋が倒壊を免れたとは、まるで藤井建築だと気づいてもらうのを待っていたかのようだ。
 独特の感性で内外の関係を調整し、半外部の空間を生み出してきた前田さんは、全体的には伝統的な造りのこの住宅においても、半外部を鋭く組み込んでいる。数寄屋の露地のような空間を、室内の中廊下や縁側部分に生み出しているのである。如庵の躙口前の土間や、「惜櫟荘」(設計:吉田五十八、41)の四半敷きの中廊下を思い出しながら、あらためて外部が内部へ貫入することで生まれる建築の空間性を確認した。藤井のサンルームが守る背後の建築を、渾身の現代建築とすることも、藤井厚二に対する前田さんの礼儀だったのであろう。


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