数学が人になったのを篠原一男とし、数学が建築になったのを篠原住宅とするなら、できたときのまま不変であるのが望ましい。なぜなら数学は、人生や芸術や文学や思想と違い、というか数学以外のこの世のすべてと違い、不変を旨とするからだ。数学という人間の知力がなした絶対的抽象の領分には、私的な想いとか物語とかのとりつくシマはない。
 篠原住宅は、できたときのまっさらな状態で見るのが望ましい。時間の経過のなかでそこから滲み出る暮らしの味や時間の蓄積など、数学的視点からは単なる間違いでしかない、それが篠原の住宅というもの。
 移築のおかげで、まっさらな状態の〈白の家〉が戻った。
 具体的に見てみよう。まず外観から。
 外観はないに等しい。とりわけ、建物と地面との接点への関心の薄さは際立ち、基礎からの壁の立ち上がりがなんともあいまい。こういうあいまいな納まりを平気でする一流建築家としては、カーンと篠原しか知らない。ふたりとも、抽象性を生来の好みとした建築家であった。無関心な造りをしているのが玄関(出入り口)で、何もしていない。こういう何もしない出入り口の造りは、篠原に先行して池辺陽や増沢洵が試みているが、もしかしたら篠原だけは、外界と建物の接点としての出入り口など考えたくもなかったのかもしれない。出入り口の外に充満する社会と世俗は、基礎の下に存在する大地や大地の上の自然と同じように、数学的傾向が最も苦手とする。
 続いて内部について。
 この白い室内が、「から傘の家」の続きであり完成形であることを身紀子夫人の回想によって気づくことができた。
「工事が始まってからも、天井を張るかどうか迷っておられ、結局、張ることになった」というのである。


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