
構法的なアプローチの可能性
——最後に、原田さんたちのような、構法的なアプローチの今後の可能性を教えてください。
- 真宏 大学で学ぶ建築は、やはり空間構成の話が、メインになりがちですよね。実現されるわけではないのだから、その案としての価値で評価される。それは建築の概念についての学びであり、重要なことのひとつです。ただ、それが建築の本質かといわれると、それは少しちがう。僕が大学で卒業設計をしていたときに、ちょうど阪神・淡路大震災が起きました。1月17日の卒業設計の提出間際に、徹夜明けでつけっぱなしになっていたテレビを見たら、高速道路が倒れ、ビルが燃え、消防車が待機しているような映像が飛び込んできました。そのとき、僕は建築も都市もフィジカルな存在だと、強く思いました。また、磯崎新さんが朝日新聞にコメントを寄せ、震災を見て、建築は物質でできていることを思い知らされたので、空間の構成よりも、存在の構築性や形式性に視点を移すべきだ、という主旨のことを書いていました。理念や概念を追求する磯崎さんをして、そう言わしめたのです。建築家や哲学者が建築を概念的に語っている時代でしたが、一方で、建築をもう一度フィジカルな存在としてとらえなおそうという潮流も出てきました。
大きな話になりますが、20世紀には徹底的に人間社会の合理性が追求されましたが、その結果、地球の環境問題など、自然との軋轢を生みました。20世紀のままでは未来はない、ということに誰もが気がついています。そのため、自然科学的な合理性のなかに、社会科学的な合理性を位置付けるということが大命題です。
大げさに感じるかもしれませんが、建築こそ、社会の理を自然の理のなかに位置付けることができる活動なのだと思います。それが、特殊な構法にチャレンジする、大きな意味であると信じています。
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