
ニューヨークから電車で1時間ほど、ニューカナンの閑静な地に故フィリップ・ジョンソンの自邸があり、現代建築に関心がある人たちの巡礼地となっている。残念ながらまだ訪問したことはない。広い敷地には1949年に完成したグラスハウスをはじめ、半世紀近くにわたって順に建てられてきた10棟あまりの建物が散在している。グラスハウスは別として、各棟にはそれぞれ書斎、彫刻ギャラリー、ゲストハウスなど、単一の機能が割り振られている。なかでも最も小さい構築物が「ゴーストハウス」。ユリの球根を育てるための鉄のフレームと金網からなる単純な家型のケージである。フレームは二分割され、人間は入れるが球根を荒らすヘラジカは入れない程度の隙間をあけて置かれている。
有山さんは「ゴーストハウス」に魅かれた。家型という明確な象徴性を与えておきながらあえて二分割して象徴性を損じていること、一見すると機能が不明瞭で意味のない不要な構築物としか見えないこと、中途半端で不可思議なスケール感であることに関心があったのではないか。あるいは、人工の形には必ず機能が伴い、意味が張り付いているはずだという先入観に対する裏切りをそこに見たのではないか。
そのオマージュとして仙台で制作されたケージは、奈良に運ばれ、木造の箱の上にのせられた。確然とした意味が張り巡らされた状況のなかに、意味不明な小さな立体がまぎれ込む。すると一種の異化作用が起き、既成の意味の相対化がうながされ、波紋は全体に広がる。全体の安定した構成がほころび、日常の感覚に揺らぎが生じる。「ゴーストハウス」へのオマージュとして捧げられたこのケージは、意外にも「33年目の家」の核心をなす、小さいが重要な造形なのかもしれない。






