——村山さんが青木事務所に入ったときのお話をうかがいます。
- 青木 村山君のポートフォリオでおもしろかったのは美術館の計画で、島みたいな場所をつくると人が自由になって云々と説明してくれた。
- 村山 ああ、恥ずかしい(笑)。
- 青木 形式としてどうつくるかということと、その形式をもつと人間のアクティビティがどうなるかということとがまるで当然のようにつながっていた。でも人間はアリじゃないから、砂糖を置いたら集まるというものじゃない(笑)。大丈夫かなあと思いましたが、一生懸命やっているのは伝わってきた。
設計では現場にどうスタッフを置くかという問題があって、うちの場合はすごく少ないんです。人が増えるとコミュニケーションのロスが大きくなるから、少ない人数でそれぞれが全力を尽くしたほうがいいと思っています。僕は磯崎新さんの事務所で「水戸芸術館」(1989)の現場を担当しましたが、施工図チェックは全部ひとりでやった。それで「青森県立美術館」(2006)の現場にもふたりしか行っていなかった。ただ、ふたりではどうしてもたりない側面が出てきて、それがトイレとサインと照明でした。とくにトイレが問題だったので、村山君が入所して、「修業」を兼ねて現場に行くようにと。1年半くらい、トイレのスタディをしていたよね。
- 村山 手洗器の原寸模型とか、いろんなものをつくっていました。