特集/対談

ミーティングは考えることのトレーニング

——入ってみるのと外からみていたのとはかなり違っていましたか。

福島 伊東さんといえば当時の僕たちにとってはすでに巨匠でしたから、3年くらいは雑巾がけかなと思っていました。模型をつくったり、プランの一部を担当したりというような。
伊東 それがむしろ世の中の通例であったかもしれません。私の同級生が前川国男さんや芦原義信さんの事務所に入りましたが、彼らはチーフの下について修業して7年たって初めて一人前として遇されるとか、来る日も来る日もトイレのタイル割りばかりをやっていたりしましたから。
福島 ところが伊東事務所はまったくそうではなかった。いきなり驚かされたのが、当時いろいろな情報や意見交換の場として所員全員が参加するミーティングがあったのですが、新人の僕が当然最後部でおとなしくしていると、伊東さんから指名で発言を促されたんです。なぜ黙っている、発言しないのだったらここにいる意味がないと。経験も知識もないので、何をどう話したらよいか皆目不明なのですが、それでもつたない言葉で無理やり話さざるをえない。そうするとそのたびに叱られる。伊東さんとのミーティングは、僕にとって戦場のようなものでした。とにかく自分の言葉で話さないといけない。借り物の言葉では取り上げてもらえない。流行の一般論や歴史的な知識などよりも、今ここで議論していることのほうがずっとおもしろいのだからお前はどう考えるのだと伊東さんにいつも問われていたような気がします。そうした状態が4年間くらいは続いたのでしょうか。とてもきびしかったけれど、後で思うと物事を深く考えることのよいトレーニングでした。

——創作活動にあたってはまず個々人の言語が重要だと。

伊東 建築のアイデアは、さまざまなところ、予想外のところから発することがある。私ひとりが考えていては、毎回同じことにしかならず、発展性がないことは明らかです。いろんな人がいろんなことを言いあい、そこからこれはおもしろいかもしれないと思うものを見出し、それを媒介として空間言語に置き換えていく。もちろんそのまま最後まで進むのではなく、何度も練り直し、やり返して、日々変わっていく。その繰り返しが建築の設計にほかならないと思っています。
福島 まずは個人それぞれの言語が重要ですが、次にそれが周囲に共有可能なものかどうかを検証するときに、個人性を保ちながら、それを単なる好き嫌いで終えてしまうのではなく、ある種の社会性と向きあわせ、その中間に個人性と社会性をうまく調停する何かを発見することだと僕なりに解釈しています。それは、自分がやりたいことを一方的に押しつけるのではなく、相手の要望をそのまま受け入れるのでもなく、その両方を軽々と飛び越えていくような理(ことわり)を見出します。伊東さんとのミーティングでも、その理が見出されると、すぐに空間化して共有し、また言語化を繰り返す。でも、この理さえ見失わなければ、個々のデザインに関してはかなり自由がありました。
伊東 コンペティションの場合などは、一方で若いスタッフがプログラムを読み込み、それを図式的に置き換えるとこういう組み合わせになるという一般的な回答を用意し、並行してそのコンペのテーマをどう読み解き、考えるかということについて、みなでアイデアを出しあい、意見を重ねていく。それぞれが自分のアイデアが採用されるように必死に高めあう。ある程度固まった段階に至ると、4、5人のチームで詰めていくというプロセスです。これが理想だとすると、近年は個人がそれぞれに言語をもち、アイデアを出しあうことが少なくなってきました。いろいろと刺激してみますが、なかなかそうならない。
福島 伊東さんがアイデアを採用しようとする際には、年齢とか経験年数はまったく関係がない。1年目の新人のアイデアでも、おもしろいからこれで行こうということがよくありました。所員にとっても自分のアイデアが取り上げられることが一番の華でしたね。所員からよいアイデアが出てこないと伊東さんがしびれを切らしてスケッチを描いてしまうので、所員は内心忸怩たる思いを抱くことになります。
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