
中村外二氏から
学ぶこと
主屋の修繕を以前から手がけていたのは、著名な数寄屋大工の中村外二(そとじ)氏。氏と中村外二工務店のいろいろな職人さんたちから木造を学んだと横内さんは言う。
外二氏と初めて会ったときに言われたのは、「今の建築家は観念的で、自分の頭のなかで考えたことが全部形になると思っているけど、そんな簡単にはいかない。まして木造は、まず材料を見てもらわないとだめだ」。
そしてそのまま、大きな材料倉庫に連れて行かれた。そこで、それまで考えていた建築の世界とまったく別の世界があることに、「もの」で気づかされることとなる。
丸太の原木を買いつけ、自らの考えるサイズに丁寧に挽き、乾燥させて保管する。外二氏は、「材木の優劣は人間が勝手につけているだけで、木そのものはすべて命なのだから価値は一緒」と考え、日本の数寄屋大工が使わない洋材も自由に扱っていく。
ダイニングキッチンの天井に張られたのは米杉。多くは下地材に使われる樹種だが、90㎝幅を超える一枚板は美しく空間を包み込んでいる。「伝統を保つ。しかしそれはつねに更新されるから、その時代の伝統を目指す」という外二氏の姿勢は、横内さんに大きな影響を与えているようだ。
そしてもうひとつ、外二氏からは法隆寺の古材の柱を使ってほしいと申し出があった。昭和の大修理の際に入手したもので、『隠された十字架』という法隆寺論を著した梅原氏の家にぜひと。大いに悩んだ後、直径25㎝の存在感あふれる柱は、屋根を支える構造材として家族の一員のようにテーブルの一角を占めることになった。
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