特集1/インタビュー

「和」に対する、外からの視線

伏見 日本的なものとモダニズムを融合しようとする建築家は、過去にもたくさんいたかと思います。吉田五十八、堀口捨己、村野藤吾、大江宏……。生まれながらに日本的なものや数寄屋の世界が近くにあった建築家もいれば、精緻な研究によってそれを見出した建築家もいます。そんななかで、横内さんの建築はアントニン・レーモンドに通じるところがあるのではないかと思います。
横内 レーモンドは祖父みたいな存在に感じていて、好きです。前川さん、吉村さんの師にあたるわけですから。レーモンドは日本建築を再発見させてくれた功績が大きいですね。外国人だから、日本的なものを外部化してくれた。日本人では気づかない日本のことが浮き彫りにされています。
伏見 横内さんは、杉皮張り、葦(よし)天井、鉄平石張りといった日本的な材料をよく使われますが、その使い方が天井全面、外壁全面というようにとても大胆です。日本的なボキャブラリーを用いるけれども、その因習的な使い方にはとらわれないところがある。そうした大胆さから、たとえばレーモンドの「旧イタリア大使館日光山荘」(28)を連想します。
横内 もともと日本的なものに関心が強かったわけではなく、アメリカで日本を意識したのだから、僕には少し外国人みたいなところがあるのかもしれません。山梨出身だから京都人でもないし。だからこそ、伝統的なものに対して離れた考え方ができるのかもしれません。それと僕らの世代では、子どもの頃から「和」というものがすでに家の中からなくなりかけていて、もっと合理的な家のあり方が模索されていました。だから「和」は非日常です。そういう意味では「和」が日常だった戦前の建築家と同じようにとらえることは難しいのですが、レーモンドは外国人ですから、当時から「和」を非日常としてとらえていたはずです。だからレーモンドに通じるところがあるのかもしれません。
伏見 たまたまかもしれませんが、私の周囲では、日本のモダニズムの建築家のなかではとくにレーモンドの建築に共感するという友人が何人もいます。横内さんより下の世代になると、「和」に対する外からの視線は一層顕著なのかもしれません。「和」の日常性がほぼ失われた後の世代ですから、逆になんとかしたいという想いも強くなってきている気がしています。まるで日本人の総外国人化が進んでいるようですが、大学を卒業してから職人を目指すなど、外からの視線があるからこそ、「和」の文化に対する純粋なあこがれや敬意が増しているようにも思えます。


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