
- 伏見
「足し算の文化」は、建築史の流れのなかでは、外来文化の「和様(わよう)化」といわれるものですね。確かに古代からの和様や中世の新和様は、元は外来文化を基本としていたとしてもきわめて日本的な繊細さを兼ね備えた建築です。そこに「和」の核を見出せそうです。ただ、7年ほど前の建築ジャーナリスト・平良敬一さんとの対談(『住宅建築』2007年8月号)では、宋から輸入直後の大仏様(だいぶつよう)、そしてその担い手である重源(ちょうげん)への想いを横内さんは語られています。そこでは、和様の洗練とは異なる、ある種の建築のプリミティブな野蛮さへの共感も示されていましたが、そうした建築への想いと、「和」への志向とをどのように折り合いをつけてとらえていますか。
- 横内
「和」の議論とは別に、大仏様には個人的な思い入れがあります。出身の東京藝大では古美術研究旅行という授業があって、僕のときは大学が文化庁から委託を受けていて、なんと重源の浄土寺浄土堂の実測をしたんです。断面図を描いたのですが、寸法や構造に無駄がなくて、とにかくきれいなんです。本当に感動しました。ただ、それは純粋にすぐれた建築への敬意であって、自分が重源のような世界を目指しているかというと、少し違うかもしれません。大仏様のような外国から輸入された様式は、従来の日本的な様式と混ざりながら最終的に渾然一体となって安定したものに変わっていくと思いますが、そうした安定より少し前の新旧がせめぎあっている状態の建築が好きですね。
- 伏見 確かに鎌倉時代の新様式と和様を混ぜ合わせた折衷様(せっちゅうよう)でも、中世には鶴林寺本堂などの名作がありますが、折衷することがあたりまえになってしまったのか、近世の建築に同じ力を感じることはほとんどありません。
- 横内 新しいものを取り込むときには、当初は違和感があったのでしょう。その違和感をつくり手が感じているかどうかが、とても大きい。そうした違和感はあったほうがよい。新しい文化に違和感を感じているからこそ、一方で守りたい従来の文化も大切にして、両方を手に入れたいという欲張りな感覚につながるのだと思います。
- 伏見 そうした日本人の「いいとこ取り」が、「足し算の文化」つまり「和」に通じるわけですね。
- 横内 そう、まさに「いいとこ取り」だね。こういったことは若いときは考えもしませんでしたが、アメリカに留学(マサチューセッツ工科大学大学院)していたときに、とても仲のよかった韓国の友だちが話していた日本評が、日本を顧みるきっかけになりました。彼は「日本はとても怖い国だ。外から来たものを、あっという間に自分たちのものにしてしまう」と言った。そのよい例は日本語だと。日本では、飛鳥時代以前は話し言葉だけだったのです。書き言葉がないから中国から漢字を輸入しているけれど、日本人は話し言葉を訓読みとして残しましたね。その時点で、単に漢字を輸入しているようで、音読みと訓読みとで足し合わせた独自の文化にしている。しかも、後の平安時代に平仮名ができるから、本当は表音文字の平仮名だけで用が足りたかもしれないのに、日本人は漢字を捨てなかった。ここでも足し算をしている。その結果が、今の漢字と平仮名が交じった日本語ですから。韓国では、むしろ漢字を捨てて、ハングルに自国のアイデンティティを込めていますが、日本は捨てずに、どんどん加えていく文化だということです。こうした新しいものを取り入れて、文化をつくるときの作法を「和」としてとらえています。
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