特集/ケーススタディ6

工業用部品による茶室

 さて、めったに味わえない空間体験を終え、最後に2階北側に設けられた裏口から外階段を下りてふり返ると、背面は開口部もなく、通気口などの設備が現れ、正面とは対照的なインダストリアルな表情だ。脇にまわると、いっそう無骨な姿が露わになる。ロールケーキ状をした建築の側面は、暗渠などの土木工事用のコルゲートシートでできており、波板鉄板をボルトでとめた荒い表情が顔をのぞかせている。
 再び正面に戻り、あらためてファサードを眺めると、妻面の下半分にはコンクリートが打設してあり、筒が転がるのを防ぐ錘(おもり)の役目を果たすと同時に、1階を地上の地下として扱っていることがわかる。石山によれば、当初はシリンダーの大半を地中に埋める計画だったが、掘っているうちに大きな岩盤が出てきて、3分の1しか埋められなかったという。
 ところで、周知のとおり、コルゲートシートを転用したシリンダー型住居の発案者は石山ではなく、石山が師と仰ぐ川合健二である。川合は一時、丹下健三の建築の設備設計をしていたこともある技術者だが、故郷の豊橋に戻り、国際見本市で見たコルゲートシートで自宅をつくろうと思い立って、巨大な筒型住居を自力で建設する。南妻面に開口部はなく、閉じたドラム缶のような家だ。
 建築界からは黙殺された建築だったが、石山は豊橋まで訪ねていき、一発で自邸のすごさと川合の天才ぶりにノックアウトされ、以来何年も泊まりがけで入り浸っては押しかけ弟子を続けたらしい。エネルギーや環境や住宅の流通にも精通し、それらの諸問題を技術の力で解決しようという川合の思想は、その後の石山に大きな影響を与えることになる。
 一方、その頃同じく川合邸に興味をもって出入りしていたのが、「幻庵」の建主、榎本基純だった。資産家で趣味人という現代の数寄者、榎本は、当時、石山が設計し、渥美半島に建設中だったコルゲートパイプのショールームを見て、才能を直感したそうだ。
 榎本はいずれ蒲郡(がまごおり)の自宅から居を移し、永住したいと考えて土地を購入ずみだった。梅林や杉林に囲まれ、近くを小川が流れる約1800坪の広大な敷地。ここに、友人を招ける茶席付きの建物をつくってほしいというのが榎本の依頼だったが、具体的な注文はいっさいない。困り果てて、唯一の手がかりである茶室をキーワードに、鉄とガラスと工業用部品を呼び集めた現代の茶室をつくりたいと提案した、と石山は述懐している。利休の茶室はありふれた木や竹、紙や土でつくる苫屋(とまや)だったから、現代の茶室に安価な工業材料を組み合わせ、浮き世と異なる別世界を目指そうとした発想は、いかにも石山らしい。
 時間もエネルギーもあり余っていた若き日の石山と現場担当の野口善己は、幾度となく山中の現場に通いつめ、春夏秋冬、敷地のエッセンスを全身で吸収しながら、4~5年がかりでこの建築をつくりあげたという。家具や照明はもちろんだが、窓や薪ストーブやスピーカーに至るまで、設備機器以外はほとんどオリジナルデザインという異常なまでの情熱である。加えて、鉄工事を手がけた鍛冶屋、及部春雄が、石山の挑戦に応えて職人技を発揮し、精度の高い細部を生み出したことも、「幻庵」の完成度に大きく貢献したようだ。


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