特集/ケーススタディ5

大壁のキャンバスに絵を描く

 この住宅を特徴づけているのは、何よりも玄関まわりの葉っぱであるから、言葉は不要と言いながらも、もう少しこの装飾について考えてみたい。大きく視野を広げて、前近代の日本建築の装飾から。
 言うまでもなく、前近代の日本建築は、ほとんどが柱梁でつくられた軸組木造である。日光東照宮(1617)に代表されるように、桃山様式や、近世の立川流・大隅流など、日本建築でも装飾の豊かな建築が多数つくられている。大部分が真壁の軸組木造であるため、必然的にその装飾は梁、欄間、蟇股(かえるまた)などと部材ごとに分けて施されるものだった。これは、大きくは非個性的な伝統建築の建設のなかで、大工が個人の表現意欲を部分的な彫刻や絵様に開花させるに至った前近代的な装飾のあり方ともいえるだろう(*5)。
 一方、ブルーノ・タウトが東照宮を否定したことからもわかるとおり、モダニズム建築においては、そうした装飾は排除されていく。モダニズムは明朗な構成を求めたため、装飾は不要だったのである。ときにモダニズムは装飾だけでなく、構造体である柱梁の線も消える大壁を使用するようになる。そのとき、前近代のように構造に左右されない大壁という装飾のキャンバスが用意されたともいえるが、もちろんそのキャンバスは「真っ白」なまま。大壁によって、「土浦亀城自邸」(35)、「飯箸邸」(41/設計・坂倉準三)などの代表的なモダニズム建築が生み出されていった。モダニズムの思想は強く、長いあいだ、このキャンバスは白いままだった。
 だいぶ時代は下るものの、なおモダニズムの影響が強い頃、「ドーモ・アラベスカ」では、長く続いた白いキャンバスにサラッと絵が描かれた。前近代のような部分的な装飾ではなく、大きな壁、いわば建築全体を覆うような装飾(葉っぱ)である。建築の領域にとらわれない姿勢がそうさせたのか、この判断はおそらく当時の多くの建築家たちを驚かせたことだろう。建築における装飾復権が頭をよぎった人もいたのではないか。そしてまた、こうした装飾を用いることで、長く続いたモダニズム建築において顧みられてこなかった伝統的な左官技術も日の目を見ることになった。このことも、左官技術を見直そうとしている現在の建築業界にとって注目すべき点だろう。ひさびさの装飾は、職人技能の再発見とともに、史上に現れたのである。
「ドーモ・アラベスカ」をはじめとした、象設計集団の建築は、業界の既存の価値観や固定観念だけではとらえきれない比類なき建築ばかりだと思う。しかし、とらえきれないからこそ、既存の流れに対峙できる強度をもっているのであり、そうした新しい建築のための道程が、次代に向けた冒険なのである。

参考文献・出典
*1・2/富田玲子『小さな建築』みすず書房、2007年
*3・4/SD編集部編『《現代の建築家》象設計集団』鹿島出版会、1987年
*5/中川武『木割の研究』私家版、1985年


>>「ドーモ・アラベスカ」のスケッチを見る
>>「ドーモ・アラベスカ」の竣工時平面図を見る

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