
「KIH」は、東京都町田市に立つ彫刻家のアトリエ付きの住宅である。
5m立方を3つ並べたボリュームの直方体で、驚くほど純粋な幾何学でつくられている。いくつか開口部は設けられているものの、全体の壁量の12%ほどで(*1)、余分なものが何も付いていない直方体は、いかにも「裸の形」という印象だ。
部屋割りも幾何学的で、15mの全長を3対2に分割し、広いほうがアトリエ、狭いほうが住宅部分である。両部分の境目は、1枚の薄いベニヤ板で隔てられていて、堅い殻である鉄筋コンクリートの幾何学的な構成を損ねていない。重い鉄筋コンクリート壁の中で、このベニヤ板の軽さは外殻とは別の装置としての役割を明確に示している。鈴木自身は、このベニヤ板のやわらかな壁を「浸透膜」と呼び(*2)、アトリエや住居部分の必要面積の変化によってベニヤ板が移動することを想定していたのである。実際に、ベニヤ板は住みつづけるなかで移動し、生活の変化に対応した間取りに変化させているという。「KIH」は、直方体という裸形に、1枚の薄い壁という装置をひとつ加えた、きわめて明快な基本構成の住宅なのである。
鈴木恂の初期住宅は、非常に明快な構成が特徴であるといわれる(*3)。L字型と正方形を組み合わせた「JOH」(66)や、鉄筋コンクリートの直方体にいくつかのガラスの箱が取り付いた「KAH」(67)などであり、確かに純粋な幾何学的な構成が顕著である。こうした構成が採用されているのは、裸形の建築にさまざまな装置が付け加えられていくことに、鈴木の最大の関心があったからだそうだ(*4)。単純な構成の建築に、家具やカーテンなどの住む人の手が加わって、住宅という総体が完成するという考えである。「KIH」においては、施主が想像力豊かな彫刻家ということもあってか、直方体の箱という、初期住宅のなかでもとりわけ明快な構成が採用された。鈴木は、「閉鎖性の高いコンクリートの箱を、住宅の原型として位置づけたい」と言う(*5)。直方体、という裸形(原型)が、どのような装置を加えることで、住宅として完結していくのか、その後の都市住宅においても不可避な題目が問いかけられていた。
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参考文献・出典
*1・2/『建築文化』1970年11月号、彰国社
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*6/藤森照信「打ち放しニッポン」
(『アステイオン』61号、2004年、阪急コミュニケーションズ)
- *7/内田祥哉『日本の伝統建築の構法―柔軟性と寿命』
2009年、市ケ谷出版社
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*8/合板百年史編集委員会編『合板百年史』2008年、
日本合板工業組合連合会
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