
「KIH」は、構成が裸形というだけでなく、実際に裸である。内外装は打放しコンクリートであり、軀体がそのまま仕上げになっている。しかも単に裸なわけではない。粗い壁面によって裸であることを主張している裸に見える。これはどういうことを問いかけている裸なのか? 打放しについてあらためて考えてみたい。
安藤忠雄の国際的な活躍もあり、打放しは日本のお家芸のような風潮があるが、日本のオリジナルではない。オーギュスト・ペレを嚆矢とし、ル・コルビュジエやアントニン・レーモンドなどの近代を代表する建築家たちによって、構造が即意匠となるモダニズム建築の表現のひとつとして普及していた。日本の建築家は、その表現を受け継いだのであるが、丹下健三の「広島ピースセンター」(52)と「香川県庁舎」(58)は、他国にはない打放し建築として驚きの目をもって世界に迎えられたという(*6)。日本にはコンクリート型枠をつくることができる優秀な大工がたくさんいるため、腕のよい大工たちによって肌理の細かい美しい打放しの壁面をつくることができたのである。現在の日本の打放しコンクリートも、施工性の高さが評価されているのだろう。
ここで注目したいのは、優秀な大工がたくさんいるということは、施工精度が高いというだけでなく、施工の技能が安く、普及しやすいということであろう(*7)。つまり、日本では大規模な公共建築や集合住宅だけでなく、ローコストな小住宅において、打放しコンクリートを用いることができたということも、日本を打放し大国とした大きな要因なのだと思う。大規模で予算が潤沢な建設における、高い施工力を駆使して徹底的にきれいに仕上げられた打放しだけではない、小規模でプリミティブな打放しの表現が生まれる素地があったのである。
「KIH」の粗い裸の壁は、そうしたプリミティブな打放しの表現だと考えたい。日本の打放し技術は施工精度が高く美しすぎて、構造や下地を現しにしているというよりは、むしろ「打放しコンクリート」というある種の装飾にも見える。その施工力はすばらしいものなのだが、一方で、本来打放しに期待されている構造や下地を現しにする力強さは弱くなるように思える。「KIH」は、そうした「美しい打放し」ではなく、「力強い打放し」を求めたのではないだろうか。それは、下地であるコンクリートを現しにする、本来の打放しのプリミティブな表現であろう。
「KIH」が建設されたのは、ちょうどコンパネ(コンクリート型枠用合板)が普及しはじめた時期である(昭和42年JAS規格制定)。この頃、コンクリートの一般的な型枠は、杉板から合板へ移行されていく(*8)。よりいっそう、打放しが普及していこうとする兆しのなかで、2×6の型枠合板のパネル割や合板の木口跡は、下地がそのまま意匠となる打放しコンクリートの建築的な可能性を、あらためて問うた刻印にも見えてくる。
こうした裸の形と材料は、建築の限界と可能性を同時にとらえようとしているように思える。裸は何も身につけない状態。ありのままの状態を直視することで可能性を開こうとする、次代の建築に向けた、ひとつの冒険である。
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参考文献・出典
*1・2/『建築文化』1970年11月号、彰国社
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*6/藤森照信「打ち放しニッポン」
(『アステイオン』61号、2004年、阪急コミュニケーションズ)
- *7/内田祥哉『日本の伝統建築の構法―柔軟性と寿命』
2009年、市ケ谷出版社
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*8/合板百年史編集委員会編『合板百年史』2008年、
日本合板工業組合連合会
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