
建設の動機はきわめて純粋だ。大阪から東京に単身赴任していた坂倉準三建築研究所の所員、東孝光が独立を志し、東京に住まいをもとうとした。その際、東夫妻はともに大阪の混沌とした街中、職住一体の環境で育ったので、東京郊外のベッドタウンに居を構える発想はまったくなく、かといって廊下沿いに住戸が並び、隣は何をするか知れない人が住む都心のマンション住まいも選択肢に入らず、行き着くところは都心の一戸建てしかなかった。
建設の条件はきわめてリアルだ。すなわち、貯えが十分でない若年の夫妻が都心に土地を購入しようとすれば、わずか6坪の土地しか得られなくても致し方なく、なおかつ上屋の建設費を極限にまで抑えなければならないことも自明だろう。
こうした動機の純粋さと条件のリアルさにはことさら特異な点はなく、当人たちにとってはとても自然ななりゆきによるもので、他人がそうと推測しがちな悲壮な覚悟もなければ、過剰な意気込みもなかった。しかしそうやって達した成果の類を見ない独創性はどうだろう。動機および条件と成果とのあいだにある驚くべきギャップ。これが「塔の家」神話の源である。





