特集/座談会

歴史の積み上げと現代性

——もう一度時代を戻すと、60年代は、戦前、戦中の食料不足の記憶が色濃く残っていたように思います。それに比べると今はラクな時代かと思うのですが、いかがですか。

長谷川 豪 確かに経済的な豊かさが達成されたかもしれませんが、今はひっくり返そうと思えるような制度や体制がはっきりと自分たちの目の前にないぶん、何を根拠に住宅をつくるかという難しさがつねにあります。そういう意味では今は決してラクではないですよ。逆に言えば、当時は社会状況を前提にして作家主義的にふるまえた、わかりやすい時代だったともいえると思うのです。
北山 あの時代は「体制」という、自分たちを押しつぶそうとする相手がいました。今は相手が見えなくなっているグローバリズムのなかで、どんどん自分がつぶされていく感じですね。70年代までは、ユニバーサルなアイデアでおおわれるような雰囲気があるなかで、それを表象する社会体制もありました。それに対して、建築思想として日本の文化的なアイデアをリージョナルに構築して建築をつくろうとした時代だったと思います。そうしたなかで、裂け目のようにフッと出てきたのが、70年代の住宅です。良し悪しは別として、住宅が発言権をもっていた時代、ということができるでしょう。
長谷川 豪 60年代や70年代の住宅を取り上げることに、今どのような意味があるのかと考えていたのですが、ひとつの手がかりは歴史観にあるように思います。僕は今、スイスの大学で設計スタジオをもっているのですが、ヨーロッパの学生と日本の学生は、それほど違いがあるわけではありません。ただ、あたりまえのことなのですが、彼らが背後にもっている歴史観のようなものが僕たちと明らかに違うなと感じることがあります。今ヨーロッパは財政難などのいろいろな難問を抱えていますが、彼らの都市や建築の歴史に対するセンスというか、素養のようなものに触れると、やっぱり豊かだなと思うことがあり、僕も含めて今の日本の若い人の歴史認識が貧しいなと少し感じます。逆に彼らは自分たちの文化が保守的であることを嫌っていて、つねに新しいものが生まれつづける日本の住宅の状況を羨んでいる。歴史性と現代性のどちらが大事だとはいえません。でも、これまで日本の現代住宅は過去を断ち切って、その時代の表現を刷新することで鮮やかさを維持してきたと思うのです。そろそろ建築の歴史性と現代性とを地続きにとらえて、積み上げていくような歴史観をもたないといけない。だから60年代や70年代の住宅も、これまで話してきたような時代状況の違いを認めつつも、なんとか連続性をもって見つめられないかなと思うのです。
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Movie 「座談会 Introduction」

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