特集/座談会

裂け目に出る芽

長谷川逸子 卒業設計の講評に行くと、最近では建築への取り組み方が希薄になっているように感じ、気になります。夢中になれないというか、建築の価値が学生のなかで低くなっているようです。とくに東日本大震災は、若者にとって建築の価値を見直す大きな契機になっているようです。
長谷川 豪 学生はいつでも敏感ですからね。
北山 建築単体で語ることには限界があります。インフラを抱き込んでいくとか、地域社会を見直すなど、社会をどうデザインできるかというフェーズに入っているように思います。3・11の大震災以降、災害復興の現場では、新しい生活のあり方、道路やインフラ、区画のあり方について建築家が発言することの意味が理解されています。われわれがやらなくてはいけないのは、用意されたお盆のような敷地内にオブジェをつくることではなくて、風景や地域のあり方にどうかかわっていくかということです。そうした意味でも、住宅も以前のように象徴的な単体のオブジェクトとしてはもう見られなくなっていて、少し変わってきています。
長谷川逸子 学校教育が学生の意識についていくことができずに、時代とずれているように感じますが。卒業設計でも、自分で敷地を選んでオブジェを立ち上げるようなことをまだ続けていると思いますが、都市の問題や社会の変化の問題などをもっと扱うべきだと思います。
北山 学生最後の「作品」づくりをすることには、もはや意味がないと思います。Y-GSA(横浜国立大学大学院/建築都市デザインコース)では卒業設計はなくしていますし、都市を研究対象としています。西沢立衛さんは、「建築計画と都市計画をシームレスにつなぐ建築的アイデア」を求める課題をずっと出しています。先ほど時代の「裂け目」と言いましたが、今も裂け目なんですね。そこに出てきている芽はあるだろうと思います。3・11以降、クライアントの意識も変わりました。日本の人口が減少し高齢者が増えるなかにあっても、洗練された工業はもちつづけていて、経済レベルもそう低いわけではない。そうしたなかで、どのような建築が社会として要求され、どのようにわれわれが応えてつくっていくのか。問題を解決し、次世代を切り拓くような先鋭化された住宅が、この日本でつくられていく可能性は高いと思います。
長谷川 豪 あの時代と今が時代の「裂け目」という点でリンクするというのはそのとおりだと思いました。今日の話でいうと、「裂け目」の時代の住宅は切実さが先鋭化していくはずです。3・11以降は、建築家も学生も建築メディアも、そしてクライアントも、本当にこれまでのような住宅のつくり方でいいのだろうかと見方が変わっていますね。身のまわりや目先のことだけではなくて、どれほどの時間的、歴史的なパースペクティブをもっているかということに、多くの人の眼が向いてきたように感じます。
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Movie 「座談会 Introduction」

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