特集/インタビュー

故郷の感覚からなつかしさへ

——アトリエ・ワンの住宅を拝見すると、理論がむき出しで表現されることはなく、いつもかわいらしさや親しみやすさを感じます。そのあたりの感覚はいかがですか。

塚本 私の場合、なつかしさにあまり抵抗がないというのもあるんでしょうね。日本の建設業界が今までやってきたのは、故郷を壊してお金に換えることだったのではないかと思います。私の出身は茅ヶ崎ですから、そんなに田舎ではない。子どもの頃に遊んでいた環境は、空き地は誰かが管理していたし、住宅と隣りあった畑も手入れがされていて、どこまでも人の手が入っていました。つまり、自分の身体感覚の連続で理解できる、人の手の入った世界がずっとつながっていたわけです。故郷という感覚には、環境がどのようにできているかが欠かせない条件です。その感覚が、なつかしさを違和感なく受け入れることにつながる。私は民芸も大好きで、モダンデザインとして見るとダメでも、いいものはいっぱいあります。

——日本の民芸陶器は、もともとは英国のストーンウェア(炻器)ですよね。

塚本 それは日本も英国もお互いに学んでいるから、ユニバーサリティがある。人間があまりあちこち動きまわらなかった時代に、じっとその場で考えてつくりあげたものがもつ、よさを感じます。

——根本のところで、なつかしいよさはあるのだと思います。親しみやすさを、どこかでみんな感じたいんじゃないかな。

塚本 そうですよね。

——ここの銅板を張った壁も、ステンレスやガルバリウムの光り輝くのとは違って、木とのなじみとか……。

塚本 あそこは暖炉とか薪ストーブを入れたかったんですが、周囲のことや予算もあって、やめました。でも、まちの真ん中で、家のなかに火があることにはずっと関心があって、中庭に炉を切る案もありました。結局、ここの裏側はキッチンだからファイヤープレースとみなして、火に近い金属として銅(あかがね)を使いました。不思議なもので、人間は銅からどこか熱を感じる。調理のイメージは、ステンレスより銅のほうが強いんですね。

——ある世代から上の人にとっては、暖炉は古くさく感じます。これはモダンではない、とか。

塚本 ああ、そうでしょうね。それによって、自分のアイデンティティの境界線をピッと引く。そういう指標のひとつとして、暖炉とか、家の形とか、なつかしさとかがあったわけです。


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