しかし、竣工時の姿をなんとか偲ぶことができたのはここまでで、勝敏さんに案内されて中に入ると、その後の山口自身による改造によって、主室が高天井であったことを除くと、ほとんど旧状はわからない。残念。
 庭に出てみると、広い庭のなかに旧状をよく留めるものがふたつ目に入る。ひとつは、戦後すぐにつくられたプール。あまり指摘されないことだがモダニズム建築とプールには関連性があり、レーモンドの軽井沢夏の家にも堀口の「若狭邸」(37)にも庭に小さなプールが設けられていた。モダニズムが求めた健康性と関係があるのだろう。
 もうひとつは、徳田球一潜伏の別棟。じつはこっちのほうが古く、近くにあった山口設計になる初代山口文象邸からの曳家だという。スケール感の小ささがなかなか魅力的で、中に入るともっといい。今の若い女性の好みにピッタリ。しかし、スケール感の小ささを除くと、普通の木造にちがいなく、モダニズムの影響は認められない。
 山口文象の家を一巡して困惑は消えない。屋根と室内の空間のとり方はモダニズムだが、林芙美子邸的普通感がソコココに漂うのだ。
 語るべき言葉の見つからないまま竣工時の写真を広げ、室内の表現の中心をなす囲炉裏と太い柱と梁をボーッと見ていると、勝敏さんが、「父の兄の順造が施工してくれたのですが、兄貴はいい腕だろうって、いつも自慢してました」


>> 「自邸」の年代別1階平面図を見る

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