特集/インタビュー2

精度をコントロールする

——ところで、島田さんはどのようにして事務所をスタートさせたんでしょうか。

島田 じつは、僕は独立するつもりがないままに始めたんです。大学院修了とほぼ同時に、友だちのお母さんから住宅の設計を頼まれて、1軒建てた。それが終わったら働きにいこうと思っていたら、その住宅が雑誌の狭小住宅特集にのって、それを見た人から次の仕事がきました。これだけ終えたら、今度こそちゃんと勉強しにいくぞと思っていたら、その次の仕事が……、みたいなことで。3軒目くらいでようやく、ああ、これは独立しているっていうことなんだなと、あきらめたという感じです。
 僕は卒業した学校も、環境デザイン科ではありますが、いわゆる正統な建築家教育は受けていない。誰かのアトリエにいったわけでもないので、最初は何が何やらという感じです。自分のつくりたいものがわかってきたように感じたのは、ずいぶん後ですね。他人のオープンハウスで図面を見て、ああ、図面の順番ってこうなのかと(笑)。とはいえ、同世代の人よりは、わりとカッチリ始めたという感じがします。確立された安全なディテールから始めて、だんだん、どうやったらどういう効果とリスクがあるかがわかってきた。そういうつくり方ですね。

——最初は大工さんたちと、もめましたか。

島田 いや、逆ですね。一番最初の住宅の仕事では、工務店が決まっていたんですよ。だからとりあえず、「右も左もわからない若者ですけれど」という感じで、その工務店のつくり方を知りたいから、無給で現場に行ってトンカンと胴縁を留めたりしていた。「大工オリエンテッド」というか、現場向きにつくっていたのが、だんだんと自由になってきました。セルフビルド系から始めた人はみんなそうですが、大工の苦労がよくわかるので、現場で鬼のような変更ができなかった時代もあります。もちろん建て主のお金をあずかって現場を仕切っているんだから、そこはやり直しを指示しなくてはいけないと思いつつ……。今はもう、大丈夫ですよ(笑)。
 だから今でも、設計事務所としては特殊というか、施工図レベルのものは全部描いてしまう。それを現場の人と、「僕はこうやれば納まると思うけれど、違う方法があったら教えて」という感じでやっていますね。


>>「比叡平の住居」の平面図を見る
>>「塩屋町の住居」を見る
>>「山崎町の住居」を見る

  • 前へ
  • 8/9
  • →
  • Drawing
  • Profile
  • Data

TOTO通信WEB版が新しくなりました
リニューアルページはこちら