とにかく寸法にはとことん付き合ったという。たとえば、10cmの柱を2m70cm(1.5間)の内法で立ててひとつの単位とするとして、単位同士の間隔は何cmが正解なのか。単位と単位のあいだにすべての収納を納める考えでスタートしたから、あだやおろそかにはできない。日本の木造では伝統的に収納は奥行き3尺に決まっているが、布団を入れないとすると無駄になる。ハンガーに掛けた服、大小さまざまな本や雑誌。1cmも無駄にすまいと検討に検討を重ねた結果、85cmが導かれる。背中合わせで本と洋服がギリギリ納まる。
こうした寸法の検討が平面、立面、断面、部材のすべてについてなされて設計が決まった。
なぜそこまでしたかについては、先生が大学で学んだ頃、機能主義、合理主義の主張のもと、無駄の排除が善だったからという。
「うまく1cmでも縮まると、興奮してゾクゾクしたものです」
この言葉を聞いて、最小限住宅とか極限設計とかが叫ばれていた戦後すぐの"時代の空気"を初めて吸った気がした。
経済的に無駄を除こうというより、思想として無駄を省きたかった。
もちろん、建築家なら誰でも知るように、ギリギリ切り詰めてもそれだけではいけない。この点についておもしろい言い方をされた。
「でも粋(いき)でなくちゃいけない、頓智がないと」
粋と頓智がただの箱と空間を分けるのか––わかったようなわからないようなモヤモヤした気分で、白いソファに腰を沈め、窓の外に目をやって初めて気づいた。
窓が嵌め殺し!
空間単位ひとつごとに付く大きな1枚ガラスが、なんと嵌め殺しになっている。まだ家庭用空調のない時代、住宅の中心的窓の嵌め殺しなんて乱暴きわまりない。左右の縦長の窓も嵌め殺し。
「通風が悪いって、家族には不評でねえ」
マァそうだろう。でも、通風という実用性を捨てても、窓を嵌め殺しにした効果は大きく、外の光景がスッキリ気持ちよく見える。「粋」の意味がやっと具体的にわかった。捨てるところは捨て、ねらったポイントは実用上の欠点があっても大胆に細心に実現してしまう。ひとつの空間単位の面積は2.7m四方、つまり畳でいうと4畳半。高さは2.2m。この寸法は方丈の庵に重なる。方丈とは10尺四方を指すが、物や生活用品を実際に並べると、使える面積は9尺四方の4畳半だったといわれる。





