特集/座談会+ケーススタディ

「ぞんざいな感じ」をめぐって

新関 建築にさまざまな要素が積み重なっているとき、使い勝手のために並んでいるだけでは完全な秩序になりきれないのでしょうね。オーダーやプロポーションで概念的にまとめていく。この手法を矢板さんたちがどのタイミングでどう使うかが、話を聞く前はわかりませんでした。
久明 先ほどお話ししたように、基本設計の後半ですね。はじめから意識していると、思考が縛られてしまうので。
直子 私たちは「解ける」という言葉をよく使います。オーダーが建物に重なってさまざまなことが解決したときに、オセロの面が揃うように感じます。構造上の通り芯のとり方も建物によって変わってきます。「八雲の家」は木造なので柱芯でとっていますが、「PATIO」では内法で押さえています。
新関 これにもビックリしましたね。
久明 そうして空間が立ち上がってくると、そこに意思が宿ったように感じられ、空間にぞんざいな感じがなくなってきます。
新関 「ぞんざいな感じ」というのはどういうことですか。
久明 端的にいえば、設計で考えるのを忘れたところですね。たとえば、たくさんの部品が意図どおりに一直線に並んでいるだけで、それらの部品が喜んでいるように見えますが、そうでない場合はぞんざいに見えてしまいます。設計で検討しつくされていないと出来上がったときにどうなるかわかりません。
新関 耳が痛い話ですね……。
久明 すべてが行き届いている感じ、というのでしょうか。建物を構成する一つひとつを見るとき、「こう考える」ということが手紙に書かれたメッセージのように伝わってくることが重要だと思います。たとえばミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe/1886k~1969)の設計した「ファンズワース邸」(1950)では、既製のスチールアングルを使ってきれいな窓がつくられています。プランからディテールまで意図が一貫して表現されていて、どこを切ってもファンズワース邸とわかる。そこには思想があるし、驚くほど丁寧です。
新関 どこを切っても類似するという姿勢は矢板さんたちのディテールそのもので、その姿勢を建物に込める感じが伝わってきます。プロポーションを当てはめて最後に締めていくことを聞くと、自分は逆だなと思いました。もしプロポーションのことを考えていても、進んでいくうちにあまりまとまっていなくていいのではないかと思い、最後はずらしてゆるめていきますから。
久明 私はむしろその反対で、プロポーションを当てはめると空間は膨らみを得て、建物がフワッと自由になることが多いように感じています。
新関 そうですか。ただ、その感覚はわかるような気がします。建物が違う次元に昇華するような感じなのでしょうね。また、「ぞんざいな感じ」という言葉が出てきたとき、自分は「ぞんざいな建築」を目指しているところがあるなと思いました。ディテールという袋小路のなかに入っていきたくないのですね。土を掘ってジャガイモが出てくるときに、形は違っていても食べれば同じ、というようでありたいと思います。できるだけさまざまなことを受け入れられる建築にしたいと考え、ディテールでもそれを支えるあり方を検討するようにしています。つくるときに職人が思いつきで手を動かしても、それを受け入れられる人格を建物にもたせたいと考えています。


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