特集/エッセイ

バウハウスの造形教育にみる「ずれ」と「ねじれ」

予備課程における造形教育

「学ぶ者の内に秘められた創造力を開放し、素材の本性を把握し、図像による造形の基本法則を認識させるという目標のために、工作活動と形態学習は相互不可分に展開される。いかなる様式運動に与することも意識的に回避される。……」と、グロピウス*1)によって規定された専門教育に入る前の造形教育の設置が、1919年にヴァイマールに設立されたバウハウスの特徴となっている。様式運動に立脚点をもつ既成の芸術教育に対するグロピウスの不信感は、19世紀末にウィーンを中心に起こったゼツェッションからル・コルビュジエのエコール・デ・ボザール批判に至るまで、モダン・ムーブメントの出発点として共通している。それまでの様式主義に陥ったアカデミー教育に対し、この造形教育こそが学ぶ者の感性を慣習から解放し自由なものにするとグロピウスは考えたのである。
 バウハウス設立当時、この基礎造形教育の責任者となったのがヨハネス・イッテン*2)である。人間のアーティスティックな感性を徹底的に分析するイッテンは、最初から実践的な技術などを教えるのではなく、斬新な造形をなしうる真に創造的な人間を育成することを基本方針とした。材料やテクスチャーの研究、形態と色彩の研究、リズムや表出的形態など、すべてコントラストの観点から論じられるという対照理論を、イッテンは「科学的な」造形教育の基礎としていた。この予備課程における基礎造形教育こそが、初期のバウハウスにおける教育の中心的位置を占めた。しかし、イッテンの精神主義的ともいえるような教育理念がグロピウスの考え方と相容れず、22年のカンディンスキー*3)招聘の際の評議会から始まるグロピウスイッテンの対立は、23年のイッテンのバウハウス解雇ということで収束するのである。

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