郁子夫人に、この家を建てたときの話をうかがう。
 まず、アテ付きの柱から。夫人の福井の実家の杉山に入り、気に入ったのを探して伐り出した。このときのことは元所員の竹原義二さんからも聞いたことがあり、伐り出すために道までつくり、大仕事だったという。
 事情は前後するが、そもそもどうして目神山だったのか。特別の理由はなく、家を建てようかと思った頃、たまたま目神山が宅地分譲され、友人と隣接地を入手したが、宅地といっても新設の坂道に砂利がまいてあるだけで、あたり一帯の宅地は木々が茂る林のまま。
 仕方がないから、家族でハイキングに来て、林のなかで弁当食べて帰るような状態。でも、そのときに道から斜面をのぞきながら石井が言った言葉を夫人は覚えておられる。
「穴を掘って、真ん中で火を焚いて、まわりで暮そう」
 冗談にちがいないが、その場の言葉としてはけっこう家族の心に染みたらしい。
 普通なら、眺望のよい立地を好むが、石井は林のなかにもぐるような立地をよしとした。
 石井自邸の床は限界ギリギリまで低くつくられているが、これも普通とは逆。
 斜面のより下方の、半分土にもぐるような敷地。その先のせせらぎ。建築を隠すための屋上庭園。低い床面。山に入って伐ってきたアテ付きの丸太柱。“穴の中の火のまわりで暮そう”発言。これらはすべてひとつの方向を示しているのではないか。
 そう、目指すは“地面”。かっこよくいえば“土”とか“大地”。
 ふつう自然を目指すとか言っても、せいぜい風と光と樹で止まり。ところが石井は、樹々の下の土まで感覚を届かせ、樹への関心は土から伸びたものとしてあった。穴を掘って火のまわりで暮すイメージは、石井の内側の深い位置から湧いてきていたにちがいない。
 そう思うと会って話したかった気もするが、会っても、暖炉に薪を入れながらふたりでボーッと外の木々とせせらぎを眺めていただけに終わったかもしれない。
 石井さんの学生時代を夫人に聞くと、
「ヨシノ」
 蔵王堂の吉野だった。自然信仰と山岳信仰の聖地であることは先に書いた。

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