もうひとつは柱の一件。柱の原型は樹。曲がったり、枝が出たり、根元は“アテ”といってスカート状に広がる。枝は天を目指し、アテは地につながるのだが、こうした原型を、建築用柱とするときどの段階でストップするか。普通は丸太で使うかすべて取り去って四角にするかだが、原型の樹のことを思うと、もう少しは残したい。私の場合、“タイコ落とし”と“アテ残し”を心がけている。歴史的な建築では吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂が名高く、アテはむろんコブや曲がりをそのまま残した状態でおっ立っている。自然信仰と山岳信仰の日本を代表する聖地ならではの扱い。アテは樹と大地の接点なのである。
 石井自邸の丸太柱の写真を見ると、アテがちゃんと残っているではないか。山小屋ならいざ知らず、アーキテクトの作品でアテ付きは初見。行かずばなるまい。
 阪急電車を降り、車で目神山の急坂を登ると石井自邸。あたりは確かに良好な住宅地としての成熟をみせ、目ざわりな塀などないし、緑の向こうに見えるどの建物も、スタイルはあれこれあるにしても、安モノ感は皆無。
 石井自邸のある通りを“目神山芸術家村です”と案内されれば、その気になるだろう。実際、戦前にヨーロッパでつくられた芸術家村をいくつか訪れたことがあるが、雰囲気はよく似ている。
 娘で建築家の石井智子さんに通りの両側の家々を案内してもらいながらうかがうと、石井作品は思われているほど多いわけではなくて、両側40軒のうち14軒。広大な目神山全体の住宅およそ300軒のうち石井作品は20軒。でも、石井自邸のすぐ上も、向かいの2軒も、1軒おいた先の3軒も石井作品。ひとりの手でこれだけでもつくると、芸術家村と見まごう環境を得ることができる。記憶しておこう。

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