TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
2.建築家・妹島和世氏インタビュー(後編)
2021/06/21
※本インタビューは、2020年1月に収録されました。

 【後編では、コロナ禍を経験した後の建築や五輪のあり方などに考えをめぐらせてもらった。】
―― 前回の東京五輪の記憶はありますか。
妹島 小学2年生でした。茨城県日立市に住んでいたのですが、担任の先生が1日だけ学校を休んでオリンピックを見に行かれました。子どもながらにうらやましいなと思っていました。先生はクラス全員にアメを買ってきてくれました。それを一番覚えています。テレビで競技を見ていましたが、水泳はアメリカが圧倒的に強くて、いつも星条旗が上がっていてアメリカ国歌が流れていたという記憶があります。

【1964年の前回の東京五輪では、国立屋内総合競技場(国立代々木競技場)を手がけた丹下健三さんをはじめ多くの建築家が活躍した。しかし、今回の東京五輪では、国立競技場の建て替えをめぐってのデザイン選考のやり直しなどもあり、「パビリオン・トウキョウ2021」の実行委員長の和多利恵津子・ワタリウム美術館館長は「あまりにも建築家の存在感が薄いのではないか」と感じていたという。「世界で活躍する日本の建築家のエネルギーが生かされないままオリンピックを迎えるのは残念な気がして……。一つひとつは小さいけれど、気鋭の建築家がつくったパビリオンは、唐辛子のようにピリリと効いて、東京の街全体に揺さぶりをかけられるかもしれない」。和多利館長はそう企画の意図を説明する。】
―― 前回と今回の東京五輪を比べると、東京の状況もだいぶ異なっています。
妹島 前回は日本が高度経済成長するタイミングと重なっていて、大きなエネルギーを感じられたと思いますが、今回は成熟期を迎えての開催なので前回のようにはいかないのでしょう。
発展途上国に呼ばれて都市計画のアドバイスをする機会があったのですが、実際に都市ができると人々が熱狂するんです。羨ましいような、ちょっと寂しいような、複雑な気分でした。自分たちが子どもの頃の日本はそうだったんだろうなと思いました。
良い悪いという問題ではないけれども、今の日本は高成長が望める状況ではないから、建物をワーッとたくさんつくったからといって、それが前回のような国全体で共有した熱狂になるということもないのだろうなと思います。オリンピック・パラリンピックの開催には、たくさんのお金がかかります。それでも東京でオリンピック・パラリンピックをやるのだから、未来につながるものにしてもらいたいという思いがあります。めったにない機会なので、そうしないと勿体ないですよね。日本の今後のエネルギーになるものだったら、お金をかけてもいいだろうとか、これはちょっとやめておきましょうとか、ディスカッションすることが大切だと感じています。そこにメディアの役割があると思います。また教育もすごく重要ですね。
―― オリンピック・パラリンピックの開催が1年延期されるなど、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大の影響は甚大です。新しい生活様式が求められています。
妹島 人の集まり方というのを、もう一度みんなが考えざるをえない状況です。人が集まるということは、絶対になくならない。では、どういう集まり方があるだろうかということを、それぞれの分野の専門家が考えていかなければならないと思います。化学の人も、生物学の人も、建築家も……。
―― では、建築家として妹島さんはどう考えますか。
妹島 空間で示したいと考えます。集まる場所というか集まっていられる空間をデザインすることですね。人が集まるということは、多種多様な価値観をもった人が来る場所ということだから、お互いを尊重し合わなければうまくいきません。こうでなければならないという風に画一的なルールで縛ってしまうと、同じ価値観の人たちだけしかいられなくなってしまいます。違う人がいるから良いねっていうような、そういう場所をつくっていかないと。

「水明」実験の様子。設計:妹島和世(提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

【2010年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展でディレクターを務めた際、妹島さんは出展者に統一のテーマを与えず、自由に表現することを求めた。多様な価値観を尊重する姿勢は一貫している。】
―― 新型コロナウイルス感染拡大の前と後では、今回手がけるパビリオンのもつ意味合いは変わりましたか。
妹島 コロナ禍が投げかけている課題は、何百万、何千万もの人が生活している都市もある今の世の中で、どうやったら社会生活が続けていけるかということだと思うので、テーマは変わらないです。自分が年を取ったことも関係しているかもしれませんけれど、浜離宮恩賜庭園のような場所に魅力や可能性を感じるようになってきました。
―― 妹島さんの建築の特徴のひとつは、開放感です。代表的なのはSANAAとして西沢立衛さんと共同設計した「金沢21世紀美術館」で、複数の出入り口や無料スペースがあって屋外スペースや街とのつながりを感じることができます。コロナ禍を経験した私たちが建築を考える時、より意識する要素になるような気がします。
妹島 日比野克彦さんが地元の子供たちと朝顔を育てる「明後日朝顔プロジェクト21」(2006~08年)では、「金沢21世紀美術館」が約2000株の朝顔で覆われました。アートによって全然違った空間が提示されました。丈夫につくりさえすればいい、メンテナンスフリーでつくって終わりというのではなくて、どんどん人が関わることで、建物がどんどん発展していく。それこそサスティナブルだと思います。
2004年にオープンした美術館ですから、20年近く経っています。その間に金沢の街にもギャラリーが増えてきました。ギャラリーを経営している方が「金沢21世紀美術館から飛び火したのが、私たちのギャラリーじゃないかって意識するようになった」と話してくださいました。そういう発見をしてくれたことに、すごく感動しました。美術館の建物がなくなってしまっても、そこで育まれた物事は金沢の街に受け継がれていくでしょう。そういう場所をつくれればいいなと思っています。
―― コロナ禍で延期されたことで、オリンピックについて考えをめぐらす機会になりました。今後のオリンピックのあり方についてのご意見を聞かせてください。
妹島 経済状況など開催都市の事情は様々なので、派手にやったり、静かにやったりと、いろいろな形のオリンピックがあってもいい。今回、観客数の制限や無観客も選択肢に入れて検討されるそうなので、いろいろな可能性を考えることができると思います。ポジティブに考えていくと、案外おもしろいオリンピックができるかもしれませんね。
(聞き手、執筆:読売新聞文化部記者 森田睦)
 
妹島和世 Sejima Kazuyo
1956年生。日本女子大学大学院家政学部住居学科修了。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛と共にSANAAを設立。代表作に〈金沢21世紀美術館〉、ニューヨークの〈ニュー・ミュージアム〉、〈ルーヴル・ランス〉、〈すみだ北斎美術館〉(妹島事務所として)、最新作〈大阪芸術大学アートサイエンス学科棟〉(妹島事務所として)など。2010年、第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展にて、日本人、そして女性として初めて総合ディレクターを務める。プリツカー賞、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞、日本建築学会賞、紫綬褒章(個人として)、他受賞多数。※上記の建築作品、受賞は特記のない限りSANAA名義。
森田睦 Mutsumi Morita
読売新聞文化部記者。1976年生。京都大学経済学部卒。2001年に読売新聞東京本社入社。08年に文化部に配属。以降、主に放送、芸能、美術分野などを取材。現在、読売新聞水曜日夕刊「popstyle」編集長。
シリーズアーカイブ
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
「建築家のノーベル賞」と言われるプリツカー建築賞を受賞するなど、世界的に活躍する妹島和世さん。パビリオンのコンセプト、敷地選定の背景などを語っていただきました。
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
コロナ禍を経験した後の、建築やオリンピック・パラリンピックのあり方などについて、伺いました。