TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
1.建築家・妹島和世氏インタビュー(前編)
2021/6/21
※本インタビューは、2020年1月に収録されました。

 【新型コロナの感染拡大の影響で1年延期された東京オリンピック・パラリンピックもいよいよ7月に開幕を迎える。ホスト都市の東京を文化の面から盛り上げようと、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京は文化プログラム「Tokyo Tokyo FESTIVAL」を展開し、東京の魅力を伝えている。その中核となる13件のプロジェクト「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」のうちのひとつが「パビリオン・トウキョウ2021」(名誉実行委員長:隈研吾氏、実行委員長:和多利恵津子・ワタリウム美術館館長)。東京大会のメイン会場となる新国立競技場を中心とするエリアに、世界で活躍する日本人建築家とアーティスト計8人がそれぞれ仮設の小さな建築を設置していく。公開は2021年7月1日から9月5日を予定している。
 今回は参加するひとりで、「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー建築賞を受賞するなど世界的に活躍する妹島和世さんにコンセプトなどを聞いた。】
―― 「パビリオン・トウキョウ2021」のコンセプトは、「世界にまだ知られていない日本文化の魅力を世界に伝える」ことです。参加の打診があったとき、どう思いましたか。
妹島 建築家やアーティストが、現代の東京という街の中で、小さな建築をつくって空間的な提案をすることは、おもしろそうだなと思いました。文化も含め日本のいろいろなことは、メディアを通じて知られているかもしれませんが、実際に世界中から多くの方たちが日本に来て、「まだ知られていない日本文化」を見たり、体験したりする機会は、オリンピックのような大きなきっかけがないと、なかなかないことだと思うんですよね。ただ、自分がやるとなると、本当にできるのかな、大変そうだなとも思いました(笑)。
―― パビリオンを設置する場所は、どのように選びましたか。
妹島 歴史的な場所がおもしろいかなと思い、そのことを意識して選びました。何百年前のことに思いをはせるということは、これから何百年後のことも考えられるということです。過去を知り学び、今度は未来に向けてつくっていく。そうやって過去と現在、そして未来はつながっているのだろうと思います。どこの場所にも歴史はあって、それを感じられるとは思うのですが、みなさんに理解してもらわなければならないので、パビリオンの設置場所は、ある程度分かりやすい所がよいと考えました。
―― 具体的に最初に考えた場所はどこですか。
妹島 皇居前広場です。江戸時代は大名屋敷がありましたが、明治、大正、昭和を経て今のような芝生と松の広場になりました。天気の良い日には、散策したり、ベンチに座って読書をしたり、寝そべったりしている人たちを見かけます。ずっと前になるのですが、初めて皇居前広場を通ったとき、東京にこんな開放的な空間があったんだ、と感動しました。私は松をそんなに好きだとは思っていなかったのですが……。(行幸通りでつながっている近くの)東京駅が創建当時の姿に復元されたり、その周辺のオフィスビルも再開発で建て替えられたりして、良くも悪くも整えられていきました。そうした丸の内や日比谷のオフィスビルを一望できる皇居前広場は、歴史もあれば、現代性もあります。
―― 皇居前広場ではどんなプランを考えていたのですか。
妹島 皇居前広場は、とてもお金がかかっていて、きれいな場所ですよね。だから、おもてなしをする場所に適していると思いました。松林の中に入り込んで、木陰で自然に休めるように松の木のベンチのようなインスタレーションを作れないかと考えました。東京都の方々を通じて、各所にご相談したのですが、(当時は)競歩の会場に使われることになっていたので、そこにはパビリオンを設置できないということでした。
―― 別の場所を探すことになり、最終的に浜離宮恩賜庭園に決められました。
妹島 皇居前広場でできないとなってから、どうしたものかと考えました。どういういきさつだったか忘れてしまいましたが、浜離宮恩賜庭園に行くことになったのです。東京湾のほとりに造成されたこの庭園は、江戸幕府の歴代将軍によって何度も造園、改修工事が行われた江戸時代を代表する大名庭園のひとつです。そして、背後には、新橋や汐留の高層ビル群がそびえ立っています。ここも皇居前広場と同じように、歴史と現代という東京のふたつの側面にふれることができる場所だと確信しました。それに、明治初期に整備された迎賓館「延遼館」があった所でもあるので、おもてなしにはぴったりの場所です。
―― 庭園に入って海側を背にして街の方を向くと、高層ビル郡がまるで屏風のようです。
妹島 そういったところが、皇居前広場と似ていますね。庭園のある場所は、元々将軍家の鷹狩場だったそうです。今でもなんとなく、昔は田舎だったんだな、ということを感じられますよね。少し行きづらい場所ですけれども。船着き場もあるし、庭園内を散策するとすごく気持ちがいいんですよ。

【妹島さんは、庭園内の木々を縫うようにうねうねと曲がりくねる、幅80cm全長約168mの細い水路で曲水を表現する「水のパビリオン」を提案している。】

「水明」設計:妹島和世(提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

―― プランを考える上で、難しさを感じる点はありましたか。
妹島 皇居前広場はとにかく松林だから、パビリオンの設置範囲が全体ではなく、一部だけでもテーマやコンセプトを分かってもらえると思うのですが、浜離宮恩賜庭園には鴨場、御茶屋、広場、梅林、船着き場、迎賓館や馬場の跡など、さまざまな要素があります。その場所でどうやって小さいパビリオンをデザインしようかと、いろいろ考えましたね。
―― なぜ「水のパビリオン」なのですか。
妹島 浜離宮恩賜庭園には、海水を引き入れた潮入の池や、ふたつの鴨場、曲水など庭園を楽しむためのいろいろなタイプの水があります。水とともにある庭園と言えます。その風景に現代を表すような水を足すことにしました。曲水の流れはとてもゆっくりとしたスピードで、遠くから見ると留まっているように見えます。でも、近づいて見るとゆっくり流れていることに気づきます。上流から下流へと流れていく水は、過去、現在、未来のつながりを表しています。鴨長明の「方丈記」の冒頭「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という状況を表現できたらいいなと思います。

【曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌をよむ「曲水の宴」という宮中や貴族の屋敷で行われる遊びがあった。】
―― 「曲水の宴」などイベントもできそうですね。
妹島 歌人の方に来ていただいて、歌会などを行ったらおもしろいですね。パビリオンの公開は夏なので、涼を感じられると思います。また、時々パーッと水を噴き上げる噴水を隠れた所に設置するなど、ほかのアーティストの方々とのコラボレーションの可能性もあると思います。
(聞き手、執筆:読売新聞文化部記者 森田睦)
 
妹島和世 Sejima Kazuyo
1956年生。日本女子大学大学院家政学部住居学科修了。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛と共にSANAAを設立。代表作に〈金沢21世紀美術館〉、ニューヨークの〈ニュー・ミュージアム〉、〈ルーヴル・ランス〉、〈すみだ北斎美術館〉(妹島事務所として)、最新作〈大阪芸術大学アートサイエンス学科棟〉(妹島事務所として)など。2010年、第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展にて、日本人、そして女性として初めて総合ディレクターを務める。プリツカー賞、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞、日本建築学会賞、紫綬褒章(個人として)、他受賞多数。※上記の建築作品、受賞は特記のない限りSANAA名義。
森田睦 Mutsumi Morita
読売新聞文化部記者。1976年生。京都大学経済学部卒。2001年に読売新聞東京本社入社。08年に文化部に配属。以降、主に放送、芸能、美術分野などを取材。現在、読売新聞水曜日夕刊「popstyle」編集長。
シリーズアーカイブ
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
「建築家のノーベル賞」と言われるプリツカー建築賞を受賞するなど、世界的に活躍する妹島和世さん。パビリオンのコンセプト、敷地選定の背景などを語っていただきました。
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
コロナ禍を経験した後の、建築やオリンピック・パラリンピックのあり方などについて、伺いました。