TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
1.建築家・石上純也氏インタビュー(前編)
2021/8/9
【東京オリンピック・パラリンピックが開幕した。新型コロナ感染拡大によって1年延期を余儀なくされた後、開催会場も無観客がほとんどという異例のイベントとなった。
そうした環境の中、「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」の下で「パビリオン・トウキョウ2021」(名誉実行委員長:隈研吾氏、実行委員長:和多利恵津子・ワタリウム美術館館長)が展開中だ。これは、日本人建築家とアーティスト計9人が新国立競技場を中心とした各所に仮設建築やアート空間を計画し、人びとが立ち止まって自然や都市、社会との関わり合いを再体験するきっかけを与える機会にもなるはずだ。
参加建築家のひとりで、世界中でプロジェクトが進行する石上純也氏は、コロナ禍を経る過程でパビリオンの場所もあり方も再考したという。前編では、主にパビリオンのコンセプトについて尋ねた。】
―― オリンピック・パラリンピック東京大会が1年延期され、その間に石上さんのパビリオンは場所が変わりました。当初計画していた代官山の敷地から、新たにkudan houseに変えた理由は何ですか。
石上 今求められる外部空間が去年とは違うと思ったからです。去年は、できるだけオープンでありながら歴史があるという場所を選び、お祭りを楽しんだ後に訪れる憩いの場をつくろうとしていました。けれども今はお祭りを楽しむことが難しいばかりでなく、外に行くこと自体ゆったりとはできません。そんな状況下では、都市の中でありながら、ある程度プライバシーが保たれた外部空間の中を、自分なりに場所を見つけて静かに経験する方が相応しい。それができる場所なのではないかと考えて、kudan houseにお願いしました。
―― 都市の中心部に近いという理由に加えて、庭の形も相応しかったのでしょうか。
石上 kudan houseは、エントランスからプライベートな空間に導かれる感じがします。外の道からもはっきりと中は見えませんが、何かあるなという気配がする場所です。

「木陰雲」設計:石上純也、撮影:後藤秀二

―― 「木陰雲」は屋根と柱だけでできた空間ですが、これは庭に通路を作ろうという意図だったのでしょうか。
石上 もともとあった庭を、建物をつくることによって新しくつくり変えようとしたものです。その中を、止まったり歩いたりして体験してもらえればと思います。
―― 自然の中で、自然を新しい方法で見たり体験したりする空間をつくったということでしょうか。
石上 庭は周辺も含めて一つの環境と捉える必要があります。昭和初期につくられたこの庭は、今は周りに高層ビルが建っているため、それとの対比でとても小さく見え、また遮られてはいないものの薄暗くなっています。つまり、庭そのものは残っているかもしれないけれども、当時意図された環境はなくなっている。それを、お屋敷と周辺環境、スケール感、明るさを含めていい形で取り戻したいという思いで考えました。
―― 実際には、焼いた杉素材でつくられた建物が庭の木々に混ざっているように見えます。
石上 夏のイベントなので、居心地の良い陰のようなものをつくろうと思いました。大きな屋根のようなものを庭全体に延ばすことによって周辺のビルの存在感を弱め、また屋根の高さをうまく設定することでスケール感を変えようとしました。結果的には、ビルとの対比でとても小さく見えた庭がワッと広がった。薄暗さは、焼き杉の黒い天井によって庭全体の照度をあえてさらに下げることで、美しい弱い光として見えるようになりました。
―― 焼き杉を用いたのはなぜですか。
石上 庭とこの建物をどう調和させていくかを考えた時に、樹木のクネクネした感じや庭のデコボコした感じ、そうした柔らかい感じを焼き杉によって表現できないかと思ったのです。炭化した表面の荒れた感じは、新しいけれども最初から時間の経過を含んでいる。それが庭の樹木の古い肌や庭の雰囲気と合って、建物自体をその場所に馴らしていくのではないかと思いました。しかも、普通の焼き杉はただ炭化させるわけですが、それをもっと拡張して焼き過ぎたり焼き切ったりして表面の凸凹を生み出そうとしました。通常の焼き杉技術で使う火力は弱いので、鍛冶屋さんにお願いして強力なバーナーを使って現場で作業しました。
―― 古くからある建物や庭を選び、さらに時間の経緯を含んだ焼き杉という素材を用いる。「古さ」に対する関心があるのでしょうか。
石上 パビリオンは仮設建築です。今回は2か月後には壊されてしまう。それに対して、一般的な建物の魅力は時間の経過に従って柔らかくなっていくことです。周辺環境に馴染んでいくとか、最初は奇抜に見えたことが落ちついて見えてくるとか。これまでも、最初の段階では自分が考えた抽象的な建築が完成するけれども、時間が経つことによって建築が良くなっていくという経験をしてきました。それは、建物という人工物が時間を経過していくことよって最終的には朽ちて自然に戻っていく過程と言えます。ですから、パビリオンが出来上がったままの形でなくなってしまうのは寂しいなという感覚がありました。それで、短期間であっても、時間を堆積してきた歴史のある環境と融合する建築ができないかと考えました。
―― 懐古趣味ではないわけですね。
石上 そうではない。僕の中では、「古い、新しい」でものを分けること自体が懐古的です。今、僕らが思い描く未来は浅くなっています。モダニズム(近代主義)時代は、建築だけでなくて世の中全体が遠くの未来に理想像を描いていました。けれども今は、工業製品にしてもITにしても、1年後、極端に言うと明日にも変わってしまう。そういう意味で、新しさに憧れても、遠い未来はもう誰にもわからない気がするんです。新しいものを提案するのは、何か普遍性を込めて世の中全体のために考えることではなくなっている。だから、良くて3年、5年という近い未来についていくしかない。新しかったものが瞬間的に古くなる。もはや「古い、新しい」を考えても仕方がない。その区別自体が古い価値観になっているんじゃないかと思うんです。
―― 焼き杉は時間の経緯を含んだものということですが、古さを創出する方法として建築家としてはどこまでならばいいというラインはありますか。
石上 僕の中では、計画性がないことが重要です。つまり、絵に描いて、こういう感じの古い雰囲気でつくってくださいと言ったものが、その通りに実現したらテーマパークになってしまいます。古さとは人工物が自然に還っていく過程だと言いましたが、不確定要素があるからこそ、最終的にはコントロールできない領域に入っていく。焼き杉も、こういう形に焼いて欲しいとは伝えますけれど、図面通りにはできないし、火なので最終的にコントロールはできません。ですから、短期間にできたとしても擬似的につくったのではなく、朽ちていくさまに瞬間的に凍結されたものなのです。
(聞き手、執筆:編集者・ジャーナリスト 瀧口範子)
 
石上純也 Junya Ishigami
1974年生。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了。妹島和世建築設計事務所を経て、2004年石上純也建築設計事務所を設立。東京理科大学非常勤講師、東北大学大学院特任准教授、2014年よりハーバード大学大学院客員教授を歴任。主な作品に〈神奈川工科大学KAIT工房〉、「アート・ビオトープ那須」の〈水庭〉、〈サーペンタイン・パビリオン2019〉など。日本建築学会賞、第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞など受賞多数。2018年、パリのカルティエ現代美術財団で大規模個展「石上純也 自由な建築」展を開催。
瀧口範子 Noriko Takiguchi
フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレーと日本を往復して、テクノロジー、ビジネス、政治、国際関係、社会一般に関する記事を幅広く執筆する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『スタンフォード大学名誉学長が教える 本物のリーダーが大切にすること 』『人工知能は敵か見方か』などがある。大阪生まれ。上智大学外国学部卒業。1996〜98年にフルブライト奨学金を受け、スタンフォード大学コンピュータ・サイエンス学部に客員研究員として在籍(ジャーナリスト・プログラム)。
シリーズアーカイブ
「木陰雲」設計:石上純也、撮影:後藤秀二
世界中でプロジェクトが進行する石上純也さん。前編では、パビリオンのコンセプトや建築思想などを語ってくださいました。
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
後編では、パビリオンも含め、建築に対する姿勢や自然と屋外の捉え方などを伺いました。