TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
2.建築家・藤原徹平氏 追加テキスト――この1年間で考えたこと
2021/04/09
 ちょうど1年ほど前、コロナ禍は収まらず、オリンピックの1年延期が決定。パビリオン・トウキョウも2021年に延期されることになった。

単に1年ずれただけでなく、私には世界のバランスがもっと全体的に崩れているようにも感じられた。(例えば、もしもオリンピック自体が中止になったとしても、それが大きい出来事とは多くの人は感じないだろう。)

こうした世界の変化を受けて、私はパビリオンのコンセプトを変えることにした。

ストリートに着目するという着想そのものは変わっていないが、そこに植物の視点、人間以外の存在を加えて考えた。

人間が苦しんできたこの1年、植物はまるで影響を受けていないように見える。人間の活動が弱まったせいか、ずっと家にいるせいか、私は植物に目を向ける機会が以前よりずっと増えてきている。

東京という都市の歴史を植物にこだわって調べていくと、庭が重要な存在であるということがクリアになってきた。江戸時代、大名たちが何百もの屋敷を構え、その屋敷には必ず庭園がつくられた。そのごく一部が、新宿御苑、有栖川公園などの重要な都市公園として残るが、そうした庭園が何千もひしめき合っていたのだから、江戸はまさに「庭の都」「植物の都」だった。

将軍や大名たちだけが、植物を愛でていたかというと、そうではないのが面白いところで、長屋住まいの庶民たちも自分たちだけの庭を育んでいた。

それを可能にしたのが、大名たちの庭を手入れする大量の植木職人たちの出現と、格安の植木鉢の登場、そして江戸の行商文化である。

今も東京では路地裏に入り込むと植木鉢が道や建物を埋め尽くすような風景に出くわすことがある。これは東京という都市が、階級差を越えて庭園を愛でる都市になっていったその歴史の痕跡である。植木は、東京という都市の最小スケールの秩序と言ってもよいかもしれない。

このパビリオンを通じて、東京の植物と道にまつわる物語を提示しようと思う。

東京という都市に脈々と流れる、植物と人間がつくってきた循環的な関係。ローム層の肥沃な土が可能にした、都市の路地裏で農を営む都市。

このストリート・パビリオンは、自分たちの日常をたくましく耕し続けてきた東京の市民文化に捧げられた、ひと夏の都市計画として提示される。この都市の文化の根っこが肥大化し、瘤のように隆起した異質空間、位相がずれてしまった世界のバランスを元に戻すのではなく、別の秩序に移行するきっかけになれば面白いと考えている。

「ストリート・ガーデン・パビリオン」(仮題)設計:藤原徹平(提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

藤原徹平
2021年2月23日 二度目の緊急事態宣言下の東京
 
藤原徹平 Teppei Fujiwara
1975年生。横浜国立大学大学院修士課程修了。2001年より隈研吾建築都市設計事務所にて、〈ティファニー銀座〉、〈北京・三里屯SOHO〉、〈浅草文化観光センター〉、〈マルセイユ現代美術センター〉など世界20都市以上のプロジェクトを担当。2009年よりフジワラテッペイアーキテクツラボ代表。2010年よりNPO法人ドリフターズインターナショナル理事。2012年より横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。アートや演劇、都市など他分野に越境した活動を行っている。主な作品に〈等々力の二十円環〉、〈代々木テラス〉、〈那須塩原市まちなか交流センター「くるる」〉など。
シリーズアーカイブ
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大による、開催延期決定前の2020年2月末に収録されました。

「パビリオン・トウキョウ」企画発足時点から相談を受けていたという藤原徹平さん。パビリオン案の解説を通し、都市への思いや隈研吾建築都市設計事務所勤務時代の経験などが語られています。
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
新型コロナウイルス感染拡大による企画開催の延期を受け、新たに考えたこと、新プランに込めた思いなど、藤原徹平さんご自身によるコメントです。