TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
1.建築家・藤原徹平氏インタビュー
2021/04/09
 【オリンピック・パラリンピック東京大会の行われる東京を盛り上げようと、開催都市の東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が実施する文化プログラム「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」。公募で選ばれた13件の企画のひとつ「パビリオン・トウキョウ2021」(名誉実行委員長:隈研吾氏、実行委員長:和多利恵津子氏)は、世界的に評価が高い日本の建築に光を当てるプロジェクトだ。若手を中心とする日本人建築家やアーティストら8人が、都内に複数の小さい仮設のパビリオンを展開する。公開は2021年7月1日~9月5日を予定している。(※2020年2月に本インタビューを実施後、4月に会期延期が決定、10月から再始動、左記新会期が決定。)
今回は、隈研吾建築都市設計事務所で実績を積み、今回の企画に早くから関わっている建築家の藤原徹平さんに聞いた】
建築家・藤原徹平氏
―― 藤原さんには、最初はどのような形でオファーがあったのですか。
和多利さんたちから、企画書を東京都に出す段階のときに、「こういうアイデア、どう思う」と聞かれました。ワタリウム美術館と僕の事務所はご近所ということもあって、道でばったり会ってプロジェクトが生まれるというようなこともしばしばある関係なんです。建築とアートで街全体が美術館のようになるというアイデアは、僕の考えともすごく合うので、「サポートしますよ」って言ったら、「サポートだけじゃなくて、パビリオンもひとつやって」と言われて。  そのとき、最初に考えたキーワードが「劇場」でした。オリンピックは世界中から人が集まるお祭りだから、そのときに、都市が劇場になるのはいいんじゃないかと直感的に思って。
―― いま示されている案は「都市のストリート広場」となっていますね。
考えてみると、劇場や美術館でフェスティバルをやっても、見に行かない人からすれば、何も起きていないに等しい。それで、劇場の起源としての道自体をテーマにするのが良いのでは、と思ったんです。今の東京の道はコントロールされていますが、かつてはもっと自由に道で活動できた。そういう自由な道を建築でつくる。いま道が自由に使えるときは、お祭りや阿波踊りのような伝統的な祝祭が中心ですよね。もっと多様な道の文化を育てていくべきだということを、問題提起できればと思っています。
だから、劇場のようになりうる道。通常の劇場のように演者が決まっているより、誰もが演じることができて、誰もが見ることができる。関係性が開かれている方が豊かかな、と。道そのものが建築になるってどういうことだろう、と考えたわけです。
―― パビリオンを建てる場所も、国立競技場にも近い大通り沿い、つまりストリート沿いを想定されているようですね。
東京の大通り沿いって、場所に魅力はあるんだけど地価が高すぎて、そんじょそこらの使い方じゃうまくペイしない。それでよく分からないまま、ペンシルビルのようなものが建って、賑わいが生まれなくなっている。そこを考えていくのが面白いかなと思っています。
―― オフィスビルでも、1階にオープンカフェを設けたり、街に向かって開こうという仕掛けはあるんじゃないでしょうか。
あくまでそれらは建築の中で工夫をしているだけです。一番重要なのは建築の外の世界を豊かにすることだと思います。そのための文化的なアクションに、多くの人が興味をもってくれればいい。パビリオン・トウキョウの後に、道がテーマになるようなプロジェクトが相乗効果で生まれるといいんじゃないかと思います。
―― 模型を見ると、単純な道というより地形のようになっていますね。
道って何なのかって考えました。今は、アスファルトを敷いたら道っていうことになるでしょうけど、それは制度的な道。そうじゃなくて自然生成的な道って何なのかを考えると、やはり起伏がある場所に獣道が生まれ、それを人間が踏みしめて道ができるんだろうな、と。
さらにパビリオンの中にも道、巡礼路のような道があって、巡ることができれば面白い。いまリサーチしているのは、東京にある富士塚です。富士塚はいってみれば、溶岩でできている小さな人工の岩山なんですが、登る途中にお参りするところがあって、巡るだけでゲームに参加しているような寓話的な楽しさがある。人びとがお参りすればそれが伝統になり、都市の物語にもなる。いま、何人かのアーティストに声をかけて、パビリオンの道の脇に置く道祖神のようなものをつくってもらえないかと考えています。
普段の目線より高いところに登ると、街を見たり、道を見たり、人を見たり、普段見ないものを見ることで、意外な発見があります。都市に新しい視点場をつくるということも結構重要なことだと考えています。
ガウディがデザインした、バルセロナのグエル公園なんかも、あらゆるところに人が座っている。身体が物体に触れることで分かることがある。みんなが座りたくなるような形、触覚的な居場所をつくれたらとも思っています。

こうしたパビリオンをやることに何の意味があるのかって言われるかもしれないけれど、場をつくる実験はすごく大事だと思います。日本社会って、目的や意図を最初から求めがちだと思います。だからフィクションや物語を上手くつかっている富士塚は面白いんでしょうね。
―― 荒川修作さんとマドリン・ギンズさんによる岐阜県の「養老天命反転地」を、ちょっと連想しました。
荒川さんのように「死なないために」と言うつもりはないんですが、荒川さんのコンセプトや作品は好きです。ああいう風に遊戯的であることにはすごく興味がありますね。機能的ではなく遊戯的。
―― タワー状のものがありますが、これはお祭りのための櫓のようなものですか。
構造的には、しっかりとしたストラクチャーと柔らかいストラクチャーが相互に支え合うような形を考えています。全体は、舞台美術のようにベニヤでできていて、学生たちのセルフビルドでもできるような柔らかいストラクチャーです。だから、会期中に改造することもできる。でも、それだけでは安定しないから、ちゃんと軸組みでできたタワーに寄り添わせることを考えています。タワーも木造です。
 音楽家と協力して、ベニヤの箱自体がスピーカーになって音が鳴る案も検討中です。モノ自体がパフォーマティブにならないかなと思っています。音響の機材を持ってくるよりも、箱自体が歌う方が面白い。ただ、僕がプログラムまで準備すると、本当に劇場になってしまうので、誰かがこういう風に使いたいって言ってきて、じゃあ時間を決めてやりましょう、といった形になるといい。何かが起きてほしいと思っています。
 さらに、これはできるかわからないんですが、会期中にパビリオンを移設したり、改造したりできればいいなと思っています。木造なので、簡単に解体できるし、組み立てられる。そういう仮設性も大事にしたい。そして、もし形を変えながら10年ぐらい残れば、面白いなあと思っています。
―― 藤原さんは、オリンピックやパラリンピックにどんなイメージを抱いていますか。
オリンピックって、本当に都市の最大のフェスティバル。だから、その都市の一番重要なフィクションや物語を立ち上げるチャンスだと思います。
1964年の東京オリンピックを神話化して捉えるつもりはありませんが、でも凄いと思うのは、選手村をつくるためにアメリカから土地を取り戻したことです。いまの代々木公園は、五輪があったからこそ生まれた都市の物語です。
72年のミュンヘンでは、第二次世界大戦で生じた瓦礫の山を掘ってスタジアムにして、そこにフライ・オットーが膜屋根をかけた。負の記念碑を物語として使って、それが建築デザインとしても最高に格好良かった。
60年代、70年代は、まだ物語を構築しようという人間のエネルギーが、都市に集中していたんじゃないでしょうか。
話を64年の東京オリンピックに戻しますと、オリンピックのための開発で東京に新しい「道」ができたことも興味深い点です。ワタリウム美術館が面しているキラー通り(外苑西通り)も、無理やり道を通したから三角形の土地が生まれ、東孝光さんの「塔の家」やワタリウム美術館が生まれた。道ができると、やはり街が変わっていくんだと思うんです。

【今回、パビリオンとして「都市のストリート広場」を提案している藤原さんは、2001年から12年まで、隈研吾建築都市設計事務所に勤務。設計室長やパートナーを経験した。今は、FUJIWALABOを率いている】

「ストリート・パビリオン」(仮題)設計:藤原徹平(提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

―― 隈事務所では、どんな仕事を担当されたんですか。
もともと都市計画に興味があって、大学で建築学科に進んだのも都市計画がやりたかったからです。「建築空間」みたいな考え方に興味がもてず、映画館とかアートに入り浸っていました。そっちの方が、都市的というか、私にとって楽しい感じがありました。その後、シチュアシオニスト・インターナショナルなどを知って、ハードやソフトを統合してゲリラ的に都市を変えることをやりたいなと思うようになりました。都市計画のコンサルタントみたいなところではない事務所で、都市に関われる場所として、隈事務所に入ったんです。愛知万博の当初案とか、大きなフィクションや物語をはらんだ刺激的な計画を隈さんが示していたので。
だから隈事務所における都市計画の基点になるような仕事は、多数担当しました。海外のコンペも相当やりましたし、数えてみたら国内外の30以上の都市でプロジェクトを経験させてもらったと思います。
―― 隈さんから一番学んだことは何ですか。
なんだろうなあ、楽しむことかな。隈さんは「負ける建築」って言いますが、それは「受け止める」ということなんです。まずは受け止める。そこで私が考えたのは、どこまで深く受け止めるかということでした。例えば渋谷の駅街区の再開発にも関わったんですが、ビルをかっこよくするだけではなくて、五島慶太が描いた、田園都市計画とか、東急沿線の文化だとかっていうフィクションを受け止め、次の時代にどうつなげてゆくか。あえて深く受け止めて、かみしめて、楽しく応えていく、そこにこの仕事の価値があるなって思ってやっていました。
―― 隈さんといえば、一般的には「木」を使うことで知られていますが、そのあたりは?
隈さんは、素材が好きというよりも、バラック的な作り方が好きなんですよね。お父さんが大工さんと一緒に実家をバラック的につくったのが影響していると言っていました。木という素材そのものというよりも、木で建築をつくるモノづくり的な世界観が隈さんの作家性の中心にあり、それは大いに学ぶべきところがありますね。
―― そうした経験は、いまの藤原さんのお仕事に生かされていますか。
僕は今、京都駅の近くで、乾久美子さんたちと、京都市立芸術大学移転設計をやっています。京都という街の中であれほどの規模のものに関われて、ありがたいと思っています。
でもよくある計画のように、建物を事務所ごとに割り振っていったら、いい街はできません。たとえば建築家が10人いるなら、その知見を全部まぜれば、作品としては誰の作品か分からなくなって、建築雑誌からは批判されるかもしれませんが、できたものは街にとって重要な場所になると思っています。なので、大きな建築なんですが、構造体というかものづくり的にとらえるようにしています。京都の町屋だって、誰の設計というわけではないけれど、魅力的です。僕のスタッフが乾さんのところに行って仕事をしたりもします。集団でものづくり的に建築を楽しくつくっていく感じは、隈事務所で育んだ感性だと思います。
―― 建築を学ぶより前の、藤原さんにとっての原風景と呼べるものはありますか。
子供のころ、横浜の家の目の前にあったY字路のゆるい坂道でしょうか。車はほとんど来ないんですが、四角くないから野球にもサッカーにも使いにくい。だけど、いったん下がって、また上がるようなすり鉢状の場所なので、ボールはどこに行っても戻ってくる。拾いに行かなくて済む。工夫をすると魅力的に遊べる場所で、環境を使って遊ぶという感覚をそこで日々鍛えていたように思います。小さなY字路なんですが、どこか自分にとっての劇場・スタジアムのようにとらえていた場所でした。
あと、父の実家は神戸の長田で、延々とアーケード商店街が続くんですよ。もう果てしなくアーケード。本当に探検しがいのあるところで、やっぱり道というのは面白いな、ということが子供の頃の経験としてありましたね。建築の原風景っていうより、道の原風景ですね。
―― やはり、今回パビリオンで提案されているように「道」の風景なんですね。原風景って、建築家の作風を語るときによく登場しますが、こういう論じ方ってどこまで有効なんでしょう。
僕は、原風景というのは、単に自分が経験したことというだけでなく、他者が共感できる風景的な資源みたいなものなんだと思います。その意味では、自分が経験したことがなくても、共感できることもあるかもしれない。他者とポジティブな印象を共有できるという点がすごく重要で、文学を読むと、みんなそれぞれの風景が思い浮かぶわけです。
もしさきほどのY字路が、みなさんのなかでも何かイメージできたとすれば、それは我々の文化にとっての原風景になるんだと思います。建築家も自分の原風景が育つというよりも、世界中を巡りいろんな経験をしていく中で、他者と共感できる部分が大きくなっていくんだと思います。
さきほど隈さんのバラックの話をしましたが、それも多くの人にとって原風景なんだと思います。隈さんの作家的原風景に見えるんですが、実は社会の方がそこに反応しているんだと思います。
―― パビリオンで「道」をつくるとか、建築の外の世界を豊かにするとか、京都での協働のこととか、藤原さんは従来の「建築デザイン」とは違うことをお考えなのでしょうか。
建築って何だろうっていうのは、すごく考えるんです。その中で、今は建築は作品主義が行きすぎていると思う。最も重要なのは、文化や暮らしの状況だと思うんです。そこから生まれる活動とか価値観が重要で、それに建築が参加できることもあれば、建築がない方がそういうことが生まれることもある。そういう状況をつくり出せるかが、僕にとって、建築的な思考だと考えています。 そういう意味で、ワタリウム美術館で展示を手伝わせてもらった、南方熊楠(みなかたくまぐす)も重森三玲も寺山修司も、明晰な建築的思考の持ち主だと思うんです。言葉の力とか、庭園の力とか、演劇の力とかによって、人間が観念的にしか構築できない文化、都市の状況をつくり出した。
かっこいい建物ができても状況が生まれるかどうかは分からない。今回の「パビリオン・トウキョウ」のプロジェクトでは、状況をつくることに挑戦したい。一番理想的なのは、設置した大通りの印象が変わることです。そこまで至るかどうかは分かりませんが、少なくともお祭りがやってきたようなワクワク感が出ればいいなと思っています。街のなかでそういう現象が起きることは、年々減っているような気がしますし。
だから今回のようなプロジェクトは非常に重要で、明確な機能がないものを提示できる。その点でも、すごく大事だなって思っています。
(聞き手、執筆、写真:朝日新聞編集委員 大西若人)
 
藤原徹平 Teppei Fujiwara
1975年生。横浜国立大学大学院修士課程修了。2001年より隈研吾建築都市設計事務所にて、〈ティファニー銀座〉、〈北京・三里屯SOHO〉、〈浅草文化観光センター〉、〈マルセイユ現代美術センター〉など世界20都市以上のプロジェクトを担当。2009年よりフジワラテッペイアーキテクツラボ代表。2010年よりNPO法人ドリフターズインターナショナル理事。2012年より横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。アートや演劇、都市など他分野に越境した活動を行っている。主な作品に〈等々力の二十円環〉、〈代々木テラス〉、〈那須塩原市まちなか交流センター「くるる」〉など。
大西若人 Wakato Onishi
朝日新聞編集委員。1962年生。東京大学工学部都市工学科卒、同修士課程を中退し、1987年に朝日新聞社入社。主に建築や美術について取材・執筆。『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』(日経BP)、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012』(現代企画室)などに寄稿。
シリーズアーカイブ
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大による、開催延期決定前の2020年2月末に収録されました。

「パビリオン・トウキョウ」企画発足時点から相談を受けていたという藤原徹平さん。パビリオン案の解説を通し、都市への思いや隈研吾建築都市設計事務所勤務時代の経験などが語られています。
新型コロナウイルス感染拡大による企画開催の延期を受け、新たに考えたこと、新プランに込めた思いなど、藤原徹平さんご自身によるコメントです。