TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
2.美術家・会田誠氏インタビュー(後編)
2021/07/08
 【美少女や戦争、サラリーマンを主題にした絵画で知られる美術家の会田誠さんは、都市の課題に向き合う作品も手掛けてきた。黒板にチョークで描いた「新宿御苑大改造計画」では既存の公園を露天風呂がある深山幽谷に変え、模型作品「NEO出島」は東京・霞が関の上空に人工土地の〝出島〟をつくる構想だ。2018年に東京で開催した個展「GROUND NO PLAN」では、理想と考える都市の姿をユーモアと毒を含む表現で提示した。「パビリオン・トウキョウ2021」実行委員会の和多利恵津子ワタリウム美術館館長は「作品は都市への批評性に富んでいて、同時に東京への愛も感じる」と話す】
美術家・会田誠氏
―― 「パビリオン・トウキョウ2021」に出展する「東京城」は大勢の方が目にすることになります。公共の場に設置されるパブリックアートについてどう考えますか。
会田 パブリックアートは否定しません。でも僕は「個」がアートの基盤だと思うので、「パブリック」がつくと違和感というか、根本的な矛盾は感じます。今回は期間限定だし、いずれ撤去されるのでパブリックアートとまではいかない気はします。
「東京城」は理想的にうまくつくれても、一部の人からは怒られそうです。素材のダンボールとブルーシートが象徴する貧困や自然災害といった「負」の要素がありますから。でも僕は風雨にさらされてダンボールがヘナチョコになっても、城が立ち続ければ成功だと思っている。ボロボロになっても踏ん張っている姿が、一周回ってカッコよく思ってもらえたらいいなと期待しているんです。ストレートな感性をもつ人なら、「縁起でもない」と思うかもしれないけれど。公共性があるものは普通、希望とか、夢とか、前進とか、前向きなメッセージを発するし、オリンピックの開会式だってそうです。でも純粋芸術はそうした「正」だけでなく、「負」も扱う。美術家として、「負」を否定したり、覆い隠そうとしたりするのはむしろ不健全だと思いますね。「負」の側面があっても力強さや健全さは宿る。怒った人も最終的には認めざるを得ないような力をもつ作品にできればと思っています。

【「東京城」の設置場所として、会田さんが想定しているのは明治神宮外苑のいちょう並木の入り口。明治天皇夫妻を称え大正期に整備された外苑は東京を代表する景観のひとつで、オリンピック・パラリンピック東京大会のメイン会場になる新国立競技場が隣接する。設置予想図によると、ふたつの「城」は道路脇に対で立ち、いちょう並木の向こうには外苑のシンボルともいえる聖徳記念絵画館が見える】
―― この場所を想定したのはなぜですか。
会田 以前から通るたび、内部の絵画作品を含めて聖徳記念絵画館のたたずまいが気になっていました。「東京城」の土台にぴったりの石垣の台座もありますし。
―― 聖徳記念絵画館は明治天皇と皇后の事績を描いた巨大絵画80点が常設展示されています。
会田 東京の代表的“デッドスポット”という感じがします。言及する人は少ないし、めったに話題にもならない。
―― 絵画を制作したのは名だたる日本画家や洋画家です。
会田 中には少し稚拙な作品もありますけれどね。あのような大作に慣れていなかったり、堂々たる歴史画は日本人に不向きだったりする部分があるのかもしれません。もしかすると、納期を急がされたり、明治天皇という題材にプレッシャーを感じて絵が固くなってしまったりした人もいたかも(笑)。行ったのは数回ほどですが、いろいろと考えさせられる場所です。
―― 2018年の個展「GROUND NO PLAN」では、「セカンド・フロアリズム」(2階建て主義)と題した架空の建築運動の提案が印象に残っています。都市の高層化や大規模再開発に対する会田さんの違和感の表明と受け止めました。
会田 僕が好きなエリアは個人経営の小さな飲み屋があるような、東京23区で言えば北東部あたり。ごちゃごちゃした人間くさい部分が残っていて、落ち着きます。そもそも、どーんと開発された華やかな場所には最初から近寄らない(笑)。オリンピックが東京に来ると決まった時、新宿・歌舞伎町やゴールデン街は〝浄化〟されてしまうのではないかと心配しましたが、今のところそうならず、ホッとしました。都市計画とか、構えたことを言うつもりはないけれど、人間がぷらぷら歩ける心地よい場所はしっかりと残してほしいと思います。
―― 昨年、2作目の小説『げいさい』を刊行しました。美大を目指す予備校生を主人公に美術界の矛盾に迫る本書は、30年以上前に構想し、中断していたのを書き上げたそうですね。今回の「東京城」も1995年に発表した「新宿城」がベースになっています。自分の越し方や作品を見直すような、心境の変化があるのでしょうか。
会田 『げいさい』を書き始めたのも「新宿城」制作も、大体同じころです。僕はある意味、進歩のない人間でして。自分は表現者になると決めた時、おおざっぱに言えば22歳位までに、表現の大方の方向性はぼんやりと見えていました。でも当時は技術やチャンスがないから、すぐには制作できなかった。それを一生かけ、タイミングが成立したものからつくってきた感があります。完成後に「これは20代の時に考えて忘れていたやつだ」と気づくことが結構あったりして。要するに若い時は、脳みそが活発に動いて、イメージやアイデアの切れ端がバンバン出てくるのだけれど、その時は実を結ばなかったり、技術が伴わなかったり、無駄に空回りしたりした。それを形にするうちに、人生は終わるのかと最近では思いますね(笑)。まだ取りこぼしがたくさんあるので、もう少し自分も踏ん張るつもりでいますが。
(聞き手、執筆、写真:美術ジャーナリスト 永田晶子)
 
会田誠 Makoto Aida
1965年生。東京藝術大学大学院修了。美少女、戦争、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。平面作品に限らず、彫刻、パフォーマンス、映像、小説や漫画の執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に「バイバイキティ!!! - 天国と地獄の狭間で- 日本現代アートの今」、(ニューヨーク、2011年)、「天才でごめんなさい」(森美術館、2012年)、「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル、2018年)など。
永田晶子 Nagata Akiko
早稲田大学第一文学部美術史学科卒。1988年に毎日新聞社入社。生活家庭部副部長、学芸部編集委員などを経て2020年に退職し、フリーランスに。主に美術や建築、デザイン分野を取材。「平成史全記録」(毎日新聞出版)などに寄稿。
シリーズアーカイブ
絵画、彫刻、映像、インスタレーションから都市計画まで、独創性に満ちた多彩な作品を手掛け、一線を走り続ける会田誠さん。パビリオンの構想、制作方法などが語られています。
パビリオン「東京城」の構想をとおして、会田氏の表現や制作に対する思想が、語られています。