パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
1.美術家・会田誠氏インタビュー(前編)
2021/05/12
【オリンピック・パラリンピック東京大会の延期を受け、スケジュールを見直していた「パビリオン・トウキョウ2021」の新たな日程が決まった。公開予定日は2021年7月1日~9月5日の67日間。期間中、新国立競技場を中心とするエリアに仮設の小建築が8つほど出現する。出展作家は世界で活躍する日本の建築家のみならずアーティストも含まれている。
「『パビリオン=建物』のイメージがあるけれど、より広い意味のパビリオン、観客の想像力を刺激するようなアーティストの作品も見ていただきたい」。そう考えた実行委員会の和多利浩一ワタリウム美術館代表が白羽の矢を立てたのが現代美術家の会田誠さんだ。絵画、彫刻、映像、インスタレーションから都市計画まで、独創性に満ちた多彩な作品を手掛け、一線を走り続ける会田さんに話を聞いた】
―― 会田さんの参加は正直、意外でした。東京大会への批判的意見や距離を置く姿勢をツイッターなどで表明してこられたので。出展を決めたのはなぜでしょうか?
会田 東京が手を挙げた当初から開催は疑問でした。オリンピックは20世紀のマスコミュニケーション時代が生んだ代表的イベントで、経済成長に寄与した時期もあったけれど、その役割は終えたと僕は思っています。各スポーツの世界選手権があれば、オリンピックという形式は日本に限らず、やめていいのではないか。ただ経済効果に関しては専門分野ではないから、よく分からない。ツイッターで一個人としての意見を呟く位で、強い思想性があるわけではありません。今回のプロジェクトは実行委員会から新設される新国立競技場だけではない現代の日本文化の多様性を提示していくためのものだと説明されて、「やってみようか」と思いました。
東京大会の開催はまだ不透明な部分があります。僕のは「栄光のオリンピック万歳!」というタイプの作品では全くないから、もし大会が中止されたら、シュンとした世相にむしろ馴染むかもしれない。開催されたら、せっかくの熱狂に冷や水を浴びせる作品と言われるかもしれませんが。どちらの状況になるにしても、つくる作品は変わりません。
(編集注:本インタビューは2021年1月に行われた)
【会田さんの提案は「東京城」と題したふたつの城。道路脇に対で立ち、高い方はダンボール、低い方はブルーシートで覆われている。1995年に発表した「新宿城」の2020年版といえる作品だ】
「東京城(仮題)」
(撮影:宮島径 ©AIDA Makoto Courtesy of Mizuma Art Gallery、提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)
―― 四半世紀前の「新宿城」はどのような作品だったのでしょうか。
会田 93年にレントゲン藝術研究所の展示でデビューしましたが、その後あまりお呼びはかからず、アルバイトをしながら制作していた時期でした。ある時、美術仲間からアートイベントの野外展示に誘われたのですが、カネがなく、材料費が掛からない古ダンボールで何かつくれないかと考えた。当時、新宿駅周辺にホームレスの人がダンボールでつくった家がたくさんあり、以前から観察したり、一方的にシンパシーのようなものを感じたりしていました。そのふたつが結びつき、ダンボールで出来た見た目はデラックスな城型の家をゲリラ的に新宿駅地下道に設置しました。ちょうど都によるダンボールハウスの強制撤去が始まり、排除する警官隊と路上生活者・活動家がにらみ合っていた時期でした。「新宿城」は高さ2.5メートル位で、中は2、3人が寝られ、置いたビールケースの上に立つと天守閣から外がのぞけるようになっていた。実際に泊まるつもりでしたが、別の展示に忙しかった数日の間に撤去されてしまいました。
―― 今回の「東京城」はダンボールのほか、ブルーシートも使います。
会田 貧乏時代から素材になるべくカネをかけないクセが染みついているし、それも自分の特徴のひとつだと思います。「新宿城」と同時期に「ダンボールとブルーシート」と題した2人展をやりました。この時はホームレスの人がブルーシートを雨除けに使うのが出発点でした。以来、ダンボールとブルーシートは自分にとってペアのような物質です。どちらも世界中で使われていて、色も補色的だし。どちらも非常に廉価であるにもかかわらず、それなりの堅牢性を備えた頼もしい素材です。また恒久性ではなく仮設性も象徴します。それらの意味を自作に付与するために、僕は使ってきました。
華やかなイベントを開催している首都中心部から、いまだ災害の爪痕が残る地方へのメッセージを伝えるものにもなるでしょう。
―― 「城」への思いは。
会田 一般的イメージしかありませんが、何かしら思いはあります。まず、僕が生まれ育った新潟市は城がありません。つまり、「城がない都市」に育った自分は「城がある都市」に育った人と何かが違うのではないかと思います。県内の長岡市は江戸時代、城がありましたが、官軍と戦った戊辰戦争で焼失し、跡地は駅になりました。完全に〝なきもの”にされてしまった。殿様が住んでいた城は、地域文化のプライドの拠り所という面もあるのでしょうが、新潟市はその拠り所がない。だから他の地方都市に行って、城があると「カッコいいけれど、ウソみたい」と思う(笑)。無論実在しているから「ウソ」ではないわけで、そう思う自分の中に「日本史の分断」を感じます。例えば城がある松本市(長野県)に育った人なら、城はベタすぎてかえってモチーフにしようと思わないかもしれない。
―― 「新宿城」を発表した95年は、初期の代表的な絵画シリーズ「戦争画RETURNS」に取り組んだ時期と重なります。
会田 当時、室内を飛び出して野外や都市の中で展示するアートイベントが盛んでした。僕は「絵画中心で行くか」と考えていましたが、声が掛かると出品し、「新宿城」もそうでした。以来、屋外展示はあまり縁がなくて、今回が久しぶりです。
―― 「東京城」の完成予想スケッチを見ると、かなり大きな作品になりそうですね。
会田 背が高い方は約2メートルの土台を含め10メートル、低い方はその半分程度を予定しています。
―― どのように制作しますか。
会田 低い方は単管パイプの構造体にブルーシートをかぶせ、ロープで縛ったり、土嚢袋を付けたりして風に飛ばされないように固定します。ダンボールの方がくせ者で、雨に弱いので、克服できる素材選びに苦心しています。耐水性があるダンボールもあるので、方向性は見えてきました。こちらは構造体に金網を張り、ダンボールをパッチワークのように針金で止め付ける方法を考えています。上層の天守閣部分は事前にアトリエでつくり、現地に運んで下部分と連結するようにしたい。(安全性を確保するため)構造計算や構造体の制作は専門家にお願いしています。
―― 片方の城は石垣が異様に高く、もう一方はズングリムックリした姿です。
会田 モデルはありませんが、高い方は強いて言えば北斎をはじめ、昔の画人が描く大袈裟に尖った富士山でしょうか。ふたつそろうと、「スターウォーズ」に登場するロボットのC-3POとR2-D2みたいに見えるかも。漫才も「でこぼこコンビ」とかあるでしょう。これもまたベタな発想なんですが。
(聞き手、執筆、写真:美術ジャーナリスト 永田晶子)
会田誠 Makoto Aida
1965年生。東京藝術大学大学院修了。美少女、戦争、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。平面作品に限らず、彫刻、パフォーマンス、映像、小説や漫画の執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に「バイバイキティ!!! - 天国と地獄の狭間で- 日本現代アートの今」、(ニューヨーク、2011年)、「天才でごめんなさい」(森美術館、2012年)、「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル、2018年)など。
永田晶子 Nagata Akiko
早稲田大学第一文学部美術史学科卒。1988年に毎日新聞社入社。生活家庭部副部長、学芸部編集委員などを経て2020年に退職し、フリーランスに。主に美術や建築、デザイン分野を取材。「平成史全記録」(毎日新聞出版)などに寄稿。
シリーズアーカイブ
絵画、彫刻、映像、インスタレーションから都市計画まで、独創性に満ちた多彩な作品を手掛け、一線を走り続ける会田誠さん。パビリオンの構想、制作方法などが語られています。
パビリオン「東京城」の構想をとおして、会田氏の表現や制作に対する思想が、語られています。