TOTO
パビリオン・トウキョウ2021 出展者インタビュー
2.建築史家、建築家・藤森照信氏インタビュー(後編)
2019/9/26
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大による、開催延期決定前に収録されました。

【今回のプロジェクトの背景には、和多利惠津子館長が子供時代に体験した64年の東京五輪とのギャップがあるという。和多利館長は「五輪が近づいて、首都高やビルなどいろんなものができて、何か東京の街が変わっていくぞ、みたいな興奮がありましたが、今回全然そういうことがない。でもそういう記憶を今の子供たちにも体験させてあげたいなっていうのがありましたね。2020年という年に変な建物ができたよ、茶室があったよ、というような感じで。その中には、どうしても藤森先生に参加してもらう必要だがあった」と話す。】
―― 1964年の前回の東京五輪の際は、丹下健三さんや芦原義信さん、山田 守さんら建築家が、五輪施設に腕をふるいました。今回は隈さんが主導する競技場はありますが、藤森さんは以前、五輪ぐらいでは今の東京という街は変わらないんじゃないかとおっしゃっていました。
藤森 そうですね、その考えは今でも変わっていません。先日、上空から東京の街を見ましたが、設計者がすぐ分かるのは、丹下さんと日建設計だった。丹下さんは代々木の体育館と十字架(東京カテドラル)、都庁ですよ。日建は東京ドームと超高層。ただ 丹下さん系はあまり増えていないのに対し、日建系というか、大手設計事務所のものは増えているんだよね。
それともうひとつびっくりしたのは湾岸にできてるタワーマンション群。あれは今までなかった光景だね。美しいと思う。明け方なんかに羽田空港に行く時にね、レインボーブリッジをわたると海辺ぎりぎりから超高層が建ってるのね。ニューヨークでも、あれほど水辺ぎりぎりに建ってるわけじゃない。不思議な、新しい光景だと思います。
 あとは屋上緑化。新宿の辺りも相当やっているんだよ。東京都が条例で、「公共建築は全部屋上緑化しなさい、民間のものでもある面積以上は屋上緑化しなさい」って決めたんです。法律ってやっぱり強力で、建築はどんなに建築家が屋上緑化したいと思ってても施主が「何だよそれは」って言えばできないけれど、条例で決まっていますと言えば、それが進む。びっくりした。屋上緑化を条例化したのは、世界でも東京は先駆的だと思いますよ。
―― それに、次々建物が建つから緑化が広がったということですよね。
藤森 そうそう。ヨーロッパだったら新しい建物に緑化しても、広がりはたかが知れている。
―― 「明治の東京計画」を著すなど、藤森さんは都市計画史の専門家でもあります。明治から始まった東京の街は、今どういう段階になっていると思いますか。
藤森 基本的にはね、中心部は城壁都市に似た感じになっていると思う。真ん中ら辺はガーっと立ち上がって。郊外住宅地が日本の場合は大きいので、そこがヨーロッパとは違いますけれども、ある高さまでは止まらないんじゃないかと思って。
 最初はちゃんと計画しようとするんですね。法律も。でも、だんだん緩くなるんだよ。その典型が汐留の超高層の再開発。それまで超高層を建てるときには公開空地を造れって強く言ったんです。超高層の周りにみんなが入れる場所を造れって。でも汐留では公開空地は少ない。あれはまずかったと思う。
―― いま、丹下健三の「東京計画1960」みたいな計画ってないんでしょうか。
藤森 ないよ。ゼネコンが造るのは、鉄骨をガーっと立てるようないかにもありふれた未来像だけですよね。私の体験で言うと、本当の夢を都市計画に出したのは、アーキグラムが最後ですよ。それ以降は、超高層をガンガン建てるっていうだけで、建設会社と大手事務所の想像力しか出ていない。やはり建築家たちが都市に対する想像力を発揮できなくなっている。考えようと思っても考えられないんじゃないかな。
【藤森さんは若き日、「建築探偵」として日本中の近代建築を見て回った。そうした「建築愛」が生まれる状況が変わってきているという。】
藤森 64年と大きく違っているのは、多くの人が世界中から日本の建築を見に来てる。昔はね、そういう人はゼロに近かったと思う。ブルーノ・タウトに始まって、だいたい招待された建築関係者だった。それが今は、もうごく普通に建築を見に来る人が増えている。
日本の人でも、建築関係者ではないのに、建築を見るのが好きな人が増えているんですよ。私は、美術館に人は行っても、建築を見には人は行かない時代に育ってきているから、一般の人が建築に関心をもつというのは 、どこに面白みを感じているのか分からない。私は元々好きで見てきたけど、どうも私とは面白いと思っているところとは違うような感じもある。そこがわからないんだ。
64年にはそういう建築ファンは、いませんでした。だってさ、丹下さんのオリンピックプール(代々木国内競技場)も、当時は結構批判されていたんだよ。技術的にも難しいし、お金がかかるし。お金については、当時大蔵大臣だった田中角栄が予算アップを認めて済んだんだけども、世間的には、最初の頃は建築界だけで人気があったんだと思うよ。いや、世界の建築界も大変な衝撃を受けたけれど、普通の人は「変なもの」と思ったんじゃないかな。
―― 建築のファンが増えているからこそ、隈さんの競技場だけでなく、他の建築家の作品もたくさん見てもらう、というのが今回のプロジェクトの狙いでもあるわけですね。
藤森 普通の人達が建築を見るでしょ。そうすると何が起きるかって言うと SMS を使う。われわれは、建築を見ていて SNS を使うってことはないわけですよ。建築家はちゃんとしたカメラで撮ったもので見るし、自分で撮る時も忘れないように自分のための記録として撮る。建築家同士で話す時も、自分で撮った写真を「見て見て」という言い方は絶対にしない。恥ずかしくて。例えば私は、伊東豊雄さんの建築を見て「あれはいいよ」って他の人に言う時でも、自分で撮った写真を見せることはない。そんな素人の写真では、伊東さんにも失礼だと思うし。
 だけど今の人たちは違うんだよね。建築を建築界の人だけが見ていた時とは状況の違いですよ。情報の流れ方がね。だから今回のパビリオンは、その対象にはなるだろうと。たくさん撮ってもらって、できれば隈さんの競技場との対比で撮ってもらうと「おおっ」となると思って。
―― 撮るとなると、大きさの違いから考えて、絶対に藤森さんの茶室が手前で、競技場が背景になりますね。
藤森 そうそうそう。絶対に逆は撮れない。
【和多利館長によると、パビリオン・トウキョウを見るのは、基本的にすべて無料。土日などには周遊バスが出る予定で、藤森さんの茶室では、イベントとしてお茶も点てられる予定だ。】
藤森照信 Terunobu Fujimori
1946年生。東京大学大学院博士課程修了。現在、江戸東京博物館館長、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授。近代建築史・ 都市史研究を経て1991年、45歳のときに〈神長官守矢史料館〉で建築家としてデビュー。土地固有の自然素材を多用し、自然と人工物が一体となった姿の建物を多く手掛けている。建築の工事には、素人で構成される「縄文建築団」が参加することも。代表作に〈タンポポハウス〉、〈ニラハウス〉、〈高過庵〉など。近作に〈多治見市モザイクタイルミュージアム〉や「ラ コリーナ近江八幡」の〈草屋根〉、〈銅屋根〉などがある。
大西若人 Wakato Onishi
朝日新聞編集委員。1962年生。東京大学工学部都市工学科卒、同修士課程を中退し、1987年に朝日新聞社入社。主に建築や美術について取材・執筆。『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』(日経BP)、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012』(現代企画室)などに寄稿。
シリーズアーカイブ
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大による、開催延期決定前に収録されました。

インタビュー第1回目は、早くもアイデアが決まった東京大学名誉教授の建築史家で、建築家の藤森照信さんを迎え、パビリオンに込めた思いを語っていただきました。スケッチの一部も公開します。
提供:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大による、開催延期決定前に収録されました。

ご自身のパビリオンについて語っていただいた前編に続き、後編ではオリンピックと都市、建築との関係性やその変化について語ってくださいました。