「世代を超えて議論ができる場が誕生するのが重要」と言う田尻裕彦氏、「5世代の議論は無謀だと感じたが、やってよかったと思う面があった。若い建築家もがんばったと思う」と言う石堂威氏、「今回のシンポジウムを通してさまざまなことを考えた。例えばジャーナリズムと編集の関係など……」と言う小巻哲氏、「建築と都市の関係、建築と社会の関係に興味をもってやってきた」という寺田真理子氏、「自分の父より上の世代に問い掛けるのは難しい。若い世代の出席者とどう話をするかと話し合ったが、そのように考えることだけでも意味があるのかもしれない」という馬場正尊氏。
まず話題となったのは、「議論の場を雑誌がつくる」ということについて。これは、かつてデザイン雑誌の編集部に所属していた私にとっても興味のある議論だった。
馬場氏は、寺田氏が担当した『SD』巻末の「海外情報」のページが、若い建築家や学生たちにディスカションの場所を提供していたことを挙げる。その寺田氏が口にした「議論はエネルギーになった」という言葉が印象的だ。さらに「雑誌の表面に出てくる記事だけでなく、やりとりの場をつくるのが編集者」と田尻氏。逆に、それをせずして編集者だとは決して言えない、と私は強く思う。
各氏の話に見え隠れする時代背景が幅広い。
たとえば田尻氏は1960年代、『建築文化』で、当時の近代的な都市計画へのアンチテーゼを提示する記事を企画した。その記事を契機として、当時の『朝日ジャーナル』も都市計画の問題を巻頭で取り上げるなどの動きがあったという
今という時代の中では、建築雑誌は何を対象とし、何をすべきなのだろうか。
建築雑誌はかつて建築と都市とを同じ視点で捉えていたが、やがて各氏の作品が雑誌の主体となっていく。
「30年ほど前の建築雑誌は雑誌編集のなかでは未文化のもので、やがて建築雑誌のスタイルが確立される」と石堂氏。
「それとともに作品を紹介することにエネルギーが注がれるようになる。しかし、最近、都市という問題が重要だと思っている。」「編集者も苦労しているが、都市の問題に踏み入れられない。その問題は大きい。」
「建築家は都市の問題に無責任になってはいけない。都市の問題は建築だけではないということを理解し、その思考も持続していかなければ」と述べるのは小巻氏だ。
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