◆東京の街
両氏の語りは止まるところを知らない。例えば東京の街に対して。
押井氏は、「ミサイルを打ち込んで絵にならない建物はダメで、(今の東京に)合格のものはあまりない」と言う。そうやって廃虚にしながらも、“たたずまい”は重要だそうだ。「建築のたたずまいには、かつてあった人と人との関わりがある」。また「都市がどうあるべきかには興味がある。」氏は、たたずまいをもはや感じないのか、パトレイバー製作後、「東京に見切りをつけた」という。会場から出た「お台場をどう思うのか」という問いにも「一度沈むといい」。「幕張は壊す価値もないほどだ」と辛口である。
建築家については「建築の先生といわれる人の本を読んでも好きにはなれない。戦闘機の設計者には共感できるのに、建築家にはシンパシーをもてない……大規模建築をつくる建築家は大型映画の監督と似て、権力への接近が不可欠だからかもしれない。唯一、面白いのは藤森照信さんの著書で、パトレイバーでも参考にした」。
「タランティーノの映画で、お台場で撮影していたシーンの残りをL.A.で撮ることになった。そっくりの場所があると連れていかれたのがL.A.のダウンタウンのはずれ。夜7時以降は誰も歩いておらず、恐くて、まさにブレードランナーのL.A.だった。お台場もアクアシティの前だけでなく、人が歩いていてほしいと思う」。種田氏が最近体験したことだという。
「東京が次の廃虚になるのを待たなければいけないのかと思うと、自分の生きている間はだめかと思う」という種田氏は、1990年前後を東京の変化の区切りと捉えているようだ。「『パトレイバー』が完成した90年頃がちょうど境目だったように思う」。また、「現代建築には影響されないようにしている。映画のための都市をデザインしようという時には、建築家が現実でやろうとしていることにとらわれたくないという思いがあるから。」
◆アジア
アジアと日本の話題も出た。種田氏は『スワロウテイル』を制作した際、現実の東京とは似て非なる街をつくるために、イメージの構築とリサーチの目的で東南アジアの国々を歩き回ったそうだ。ホームページでも「どの国の首都にもシンボリックで未来的な建築物がそびえる一方で、その足下にゴミ溜めのようなスラム街が存在していた。そこには“汚い街”があった。“匂いの充満する街”があった」と記している。
煩雑に入り組んだ街を舞台とした『不夜城』も、台湾やアジアのイメージの寄せ集めで製作した架空の世界。「自分の中にアジアの原風景はなく、街は遠くに飛び散っていて、それをどう拾い集めていくかが仕事」という種田氏は、「もはや東京にアジアはない」から「アジアの中で東京を考えたい」と口にした。
押井氏は、日本とアジアの距離感を述べる。「日本もアジア、という言い方ではなく、日本の延長としてアジア、という方が自分にはしっくりくる」。「台風が通り過ぎると東京の街はアジアの街になる、という言葉があるように、東京に大雨が降ると下水が溢れてアジアの匂いがする。自分のなかでは東京やアジアというのは時間の向う側にあって、一旦、空間に置き換える必要がある。空間を通して時間を表したり、時間を通して空間を表したい」。
話がそれるが、会場からの質問「商業店舗をどう思うか?」を耳にした押井氏が、「店舗は好きで、主にコンビニ空間には興味がある」と眼を輝かせたこともここに付け加えておこう。実際に氏が描くコンビニの密度は、作品のたびに倍ほどになっているという。厨房の構造を研究することも好きで、立ち食いソバ屋が大好きだとか。来年には立ち食いソバの本も発行するらしい。一方、種田氏は都内に飲食店舗を手掛けただ。が、「つくっている途中は楽しかったが、イメージと違う客が入るとイライラしてしまうこともある。客のカラーまで決めたくなるから、実際の空間はもちろんやり続けたいが、映画と違う難しさを感じている」とか。映画の表現と実際の世界とのギャップを示していた。
予定時間を過ぎるほど白熱した2氏の話。終了後、押井氏が言う「建築家にはシンパシーを感じられない」ことや、種田氏が言う「建築家の考える未来は、自由なイメージを邪魔する」等々、多くの言葉が私の頭の中に残った。見えない構造を露呈させるのがアニメの「破壊」という行為で、五十嵐氏も「『パトレイバー』には壊し方の戦略の立て方がある。あの事態によって都市の構図が解ける」と述べていた通りだが、しかし実際の都市は簡単には「壊せ」ない。既に複雑化した都市の中にあっても、さらに新たな建物や計画に挑んでいくのが都市や建築に関わる人間の役割である。ヴァーチャルとリアルの間で、私たちが考えなくてはならないことはあまりに多い。
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