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吉家千絵子氏 |
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西田善太氏 |
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馬場正尊氏 |
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また、最近では建築を勉強する学生の約半数が『カーサ
ブルータス』を建築専門誌ととらえ、参考書として携えていると聞いたことがある。ここには建築のポピュラリティの問題と、専門誌と一般誌というジャーナリズムの視点に関するさまざまな状況が横たわっているのだが、いずれにしろ『カーサ
ブルータス』が誕生した事実は、多かれ少なかれ、建築の専門誌が考えざるを得ない側面を顕在化させてしまった。何より、こうしたシンポジウムに登場するというそのこと自体が、現状を如実に語っている。
シンポジウムの冒頭ではまず、今回のナビゲーターで建築誌『A』の編集長である馬場正尊氏から、テーマの趣旨が述べられた。「建築不況と言われる一方、建築ブーム、建築家ブームでもある。その火付け役とも言える同誌が一体どのような人びとに編集されているのかを知りたかった」。
それを受けて「私たちは建築情報を主体とする一般誌」と改めてスタンスを示すのは吉家千絵子編集長。同氏はマガジンハウスに入社し、『ハナコ』で食やブランド物の記事を担当し、『ブルータス』へ。話題となったワイン特集を手がけ、1998年から『カーサ
ブルータス』編集部に所属している。
副編集長の西田善太氏は広告代理店でコピーライターとしての経験を積んだ後にマガジンハウスに入社。『ギンザ』や『ブルータス』にも関わった。
吉家、西田両氏が述べる編集の手法から、ファッション、グルメ、ワインの世界で培ってきた編集の手法が蓄積されている様子が浮び上がる。
第一が、徹底的に「かっこいい」ことだ。これは、同誌が最も脂ののっている有名写真家を海外に派遣し、作品となる写真を撮影させることからも伺えるものである。あるいはスタイリストの見立てるファッションで建築家のポートレイトを撮影していることも同様だ。同時にページを構成するアートディレクターの意志も極めて明解である。
第二に、「徹底して情報収集を行うこと」。「ハナコ時代に1週間同じ種類の料理を食べ続けた(吉家氏)」「カーサ ブルータスの特集で40丁の豆腐をテイスティングした(西田氏)」のと同じく、建築の情報を徹底して収集する。あるいは世界中のネットワークを駆使しながら、世界各地の大物建築家に直接連絡とり、コメントをもらう。予算が限られる専門誌から見ると、羨ましい話かもしれない。
誌面では、収集した大量の情報を、全く知らない立場から質問するように、鋭く切り込んでいる。そうした一般誌としての立場を最大限に生かしたのが、最新の特集「なんたって建築家!」だろう。
吉家氏は言う。「"名刺ジャンケン"をしたとき、医者や弁護士よりも建築家が強いと思った。最近、建築家はアイドルだったりポップスターなのだと感じていたが、専門誌には先生っぽいことしか書いていない。どう過ごしているのか、実際に女性にもてるのかどうかという情報はない。じゃあ、私たちが取り上げましょうか、と……」。
ちなみに、こうした企画は「堅苦しい編集会議はなく、編集部の中央にあるテーブルでの深夜の雑談から決まる」(吉家氏)そうだ。また「建築家からの売り込みの手紙は、毎日2〜3通は届く。特に住宅の物件が多い。情報はストックするが、自分たちは選ばない。選べないし、選ぶ立場ではない」(西田氏)とも述べる。
両氏の話を耳にしながら私は、建築関係の各誌について考えていた。専門誌と一般誌では目的が異なるため、さまざまな状況の違いがある。専門誌においては専門家が大半となる読者向けの考察が優先されるべきであり、いたずらに部数を増やすための無理は不要であろう。社会的な問題や技術の面、あるいは環境問題に関する専門的で深い考察も専門誌だからこそなし得るのだ。それこそが専門誌の魅力といえる。
しかし、都市や建築の課題は建築家だけのものではなく、分野を超えた議論がなされるべきものである。海外の雑誌では既にそれが実現されていて、興味を抱く一般読者も購入する状況があるのだが、日本では残念ながらなかなかそうなっていない。
その理由の一つが、建築界独自のボキャラリーでのやりとりが、一般の人びとの近寄りがたい世界をつくり出しているからだと言われる。専門誌が建築という既存の枠のなかで議論を完結していてはならないことを人びとは既に感じ始めている。社会と遊離しない情報を皆が求めている。
そうした現状に、「わかりやすい表現」を信条とする『カーサ ブルータス』が一石を投じることになったのもまた、事実なのである。
建築の世界ではその企画に賛否両論があるようだが、『カーサ ブルータス』の誌面に登場する建築家が存在することにも目を向けたい。つまり、貪欲に問いを投げ掛ける編集者らの姿勢を(もちろん企画を説得するタフなやりとりも時にあるそうだ)、当の建築家たちは悪い気にならず、受け入れているということである。専門誌が専門という枠に縛られ、自らの編集方針をあれこれ摸索する一方で、皮肉なことに「作品を判断しない」と明言することで、『カーサ
ブルータス』は自由な表現を獲得してしまった。「ワインブームは去ってもワインが世の中に浸透したように、建築ブームが去っても、人びとの間で建築の話題が挙がるようにしたい」と吉家氏は言う。
二氏のテンポのよい話に、まさにワインを飲みながら話を聞いているような2時間が過ぎた。ひとつ欲を言えば、ワインのほろ酔いついでに、会場で姿を見かけた建築誌の編集者各氏から『カーサ
ブルータス』の編集方針に対する質問や、馬場氏の『A』の編集方針も交じえたやりとりを聞きたかった。「私たちは専門誌だから」「私たちは一般誌だから」と、各々に枠を設けてしまうのではなく、建築に対する各自の率直な声がやりとりされることを期待していたので、これは残念でならない。
また、シンポジウムが終ってから、私は「年2回の特別号は限りなく専門情報を取り入れながらも、基本は一般誌」という吉家氏の言葉を考えていた。一般誌として、流行に敏感であり続けることは必須であり、売上の数字から常に切り離れられない状況にあるのだろう。専門誌との違いはさまざまだが、「アイドル探し」に情熱を注ぐ編集部は、建築ブームが去った後にもひき続き建築家を取りあげてくれるとは限らないかもしれない。建築の世界でも、広く、皆に伝えていくボキャブラリーを持たなくてはならない時代にある。
建築家の皆さん、いつまでも建築ブームを作ってもらえるとは限りませんよ。 |
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