パネラーの登場を待つあいだ、僕はぐらついて肘をつくことすらできなかった前回までの机が壊れて、とうとうお払い箱になったのだ、などと寝ぼけたことを考えていたのだが、この変更には実は大きな意味があった。
シリーズ最終日となるこの日のシンポジウムは、まず机の説明から始まった。この配置を提案したのは馬場氏である。編集者としてナビゲーターの席に着いてはいるが、氏は建築家でもある。向かい合わせの配置は、「対話しやすいよう」綿密に計算されたものであった。氏はまた、「発言者は次の発言者を指名する」という単純明快なルールを設定した。各人の発言は示唆に富んでいても、議論となるとやや平面的に感じられた前回までの雰囲気は一変した。
馬場氏は以下のような議題を設定したが、パネリストはむしろ臨機応変に脱線を楽しんだ。
<1.どこに建築をつくるか? →敷地>
<2.何で建築をつくるか? →材料>
<3.どのような建築をつくるか? →形態・方法>
<4.誰のために建築をつくるか? →社会との関係>
中国で活動し、その圧倒的な量と速度、そして日本との接続に可能性をみているという松原氏の発言を皮切りに、建築の流動資産化に関する内藤氏の指摘や、現在の中国のように一時的に投資が集中する状況はすでにさまざまな都市が経験してきたという槇氏の見解が応答する。しかし前半、互いの発言に対し最も敏感に反応したのは、曽我部氏と内藤氏であった。
『団地「再生」計画』を上梓した曽我部氏と、新建築誌上で都市の安楽「死」という考え方を披露した内藤氏は、和やかなムードの中にもベクトルの相違を隠そうとはしなかった。曽我部氏が、隙間を指向せざるを得ない現実を引き受け、そこに今日的な課題を見いだしてポジティブに関わる「再生のシナリオ」を示せば、内藤氏は、「縮小のシナリオ」を思い描くべきだと返す。社会が成熟し緩やかに死へと向かうのだから、みなで再生を目指した時こそ本当の不幸が訪れると言う。安らかで豊かな死へ向けて「がんばらない」というオルタナティブが示される。
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