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ギャラリー・間 100回展 この先の建築
ARCHITECTURE OF TOMORROW
2003 05.24-07.26
A-5  Report 2002.10.05
パネリスト:槇文彦/藤森照信/内藤 廣/曽我部昌史/松原弘典
ナビゲーター:馬場正尊
レポーター:吉村靖孝
会場に入るとまず、前4回とは講壇の配置が違うことに気がついた。前回までは、パネリスト5人とナビゲーターの計6人がオーディエンスに向かって緩い弧を描いて並んでいたのだが、今回は2本の長机が「ハの字」になっている。ハの字の角度はきつく、ほぼ対面していると言ってもよい。
 
会場風景
会場風景
槇文彦氏
槇文彦氏
藤森照信氏
藤森照信氏

パネラーの登場を待つあいだ、僕はぐらついて肘をつくことすらできなかった前回までの机が壊れて、とうとうお払い箱になったのだ、などと寝ぼけたことを考えていたのだが、この変更には実は大きな意味があった。

シリーズ最終日となるこの日のシンポジウムは、まず机の説明から始まった。この配置を提案したのは馬場氏である。編集者としてナビゲーターの席に着いてはいるが、氏は建築家でもある。向かい合わせの配置は、「対話しやすいよう」綿密に計算されたものであった。氏はまた、「発言者は次の発言者を指名する」という単純明快なルールを設定した。各人の発言は示唆に富んでいても、議論となるとやや平面的に感じられた前回までの雰囲気は一変した。

馬場氏は以下のような議題を設定したが、パネリストはむしろ臨機応変に脱線を楽しんだ。

<1.どこに建築をつくるか? →敷地>
<2.何で建築をつくるか? →材料>
<3.どのような建築をつくるか? →形態・方法>
<4.誰のために建築をつくるか? →社会との関係>

中国で活動し、その圧倒的な量と速度、そして日本との接続に可能性をみているという松原氏の発言を皮切りに、建築の流動資産化に関する内藤氏の指摘や、現在の中国のように一時的に投資が集中する状況はすでにさまざまな都市が経験してきたという槇氏の見解が応答する。しかし前半、互いの発言に対し最も敏感に反応したのは、曽我部氏と内藤氏であった。

『団地「再生」計画』を上梓した曽我部氏と、新建築誌上で都市の安楽「死」という考え方を披露した内藤氏は、和やかなムードの中にもベクトルの相違を隠そうとはしなかった。曽我部氏が、隙間を指向せざるを得ない現実を引き受け、そこに今日的な課題を見いだしてポジティブに関わる「再生のシナリオ」を示せば、内藤氏は、「縮小のシナリオ」を思い描くべきだと返す。社会が成熟し緩やかに死へと向かうのだから、みなで再生を目指した時こそ本当の不幸が訪れると言う。安らかで豊かな死へ向けて「がんばらない」というオルタナティブが示される。

また藤森氏は、再生派の若者が同潤会などに惹かれるのは歴史家としてうれしいとしながらも、それがいわゆる歴史的建造物ではなく、貧困な時代の産物であることに対しての戸惑いを告白した。これについて松原氏は「団地」という言葉の指示内容が食い違っていることを指摘する。みかんぐみ以降の世代が惹かれているのは、もっと凡庸でつかみどころのない、いわゆる「団地」であり、同潤会は歴史の特異点としてその仕様の如何にかかわらず歴史的建造物であるとする。

この机の配置の真に優れた点は、予言的に対立線を画いたことではないだろうかと思えてくる。パネリストは臆せずその口車にのり、机を挟んで舌戦を演じて見せた。上手に槇、内藤、藤森の3氏、下手に馬場、曽我部、松原の3氏が座ったのだが、これは即ち年齢の別に従っている。のちに内藤氏が指摘する学生運動との時差による世代の溝が、ちょうど2本の長机に重ねられているのだ。パネリストのやりとりは、まさしくこの構図を浮かび上がらせるものであったと言えるのではないだろうか。

そして休憩を挟んだ後半は、席替えである。今度は上手に槇、馬場、藤森の3氏、下手に内藤、曽我部、松原の3氏が座る。<3><4> の問いを残したまま「若手を斬る」会への趣向替えとのこと。馬場氏が編集者としての立場に戻り、内藤氏が若手に繰り入れられる。世代の溝が一世代引き上げられたことになる。

まずは藤森氏が、透明性の行方について曽我部氏へ質問を投げる。しかし曽我部氏は自分が透明性を目指しているわけではないことを明言する。みかんぐみは「愛着のプロデュース」というキーワードを立て、むしろ完成度の低い建築の可能性に焦点を合わせているのだという。槇氏は、内藤氏の世代の特質を問う。戦争を知らない世代、学園紛争の世代、メディアの成長と併走した世代であることが語られる。ジャーナリズムの台頭によって建築家が外在的な要素に頼り、作品の妥当性に対する自己弁護を企てるようになった。しかし建築家は「言葉」ではなく「建築」をもって「業」を負うべきとする氏の立場を明らかにした。

机の配置とは別に、興味深い目線の違いも浮上した。「この先」何をつくるかということに対し、槇氏を筆頭とする建築家諸兄は、それが他律的で不確定であることにある種のロマンティシズムを重ねていたのだが、一方歴史家で素人建築家を自称する藤森氏は、非常に具体的な展開を用意していたのが印象に残った。氏は、緑のない山で、無尽蔵の労力を使い、究極の木造に取り組みたいという。「究極」とは、大木の幹を刳り貫いてつくる「木造」である。インターナショナルの行く先として、テクノロジーを開拓する方向と、原始へ回帰する方向の2つを挙げ、「素」という文字を鍵に両者が接近する可能性を示唆した。

ほかにも街並みの美醜や、リノベーションの対象に関する議論では各人の洞察が交錯し、また建築家が都市計画からオミットされている現状や、世界的な人口増加の最中で日本は人口減少に転じることなどが共通の課題と確認された。3時間半に及んだ今回のシンポジウムは、継続的な対話を期待させる充実したものであった。

今日建てた建物は、この先数十年にわたり残る。それはどの世代の建築家にも等しく科される条件だ。「この先」を考えるのは容易ではないが、世代によらず、また講演者と観客の別によらず、同じ土俵に立っているのだということを強く意識させられた。

内藤廣氏
内藤廣氏
曽我部昌史氏
曽我部昌史氏
松原弘典氏
松原弘典氏


撮影=ナカサ・アンド・パートナーズ
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