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ギャラリー・間 100回展 この先の建築
ARCHITECTURE OF TOMORROW
2003 05.24-07.26
 
A-2  Report 2002.09.14




パネリスト:磯崎新/山本理顕/小嶋一浩/千葉学/山代悟
ナビゲーター:石堂威
レポーター:松原弘典
 
 
会場風景
会場風景
磯崎新氏
磯崎新氏
山本理顕氏
山本理顕氏
コーディネーターの石堂氏から、最初に他のパネリストに準備された問い掛けは4つ。

1) 今この時代に「この先の建築」と言ったときの、「この先」とはどのくらい先までを対象にできるのか。
2) 最近ではアトリエ派建築家の海外進出が盛んだがこの事態をどう捉えるか。
3) 近年多い用途変更による建築の再利用は、従来のビルディングタイプを変質させているようにも見えるが、それについてどう考えるか。
4) この先の建築とはどういうものになりうるのか。

特に4)について石堂氏は、会場で磯崎氏から他のパネリストに向かって問題提起する形をとっており、そのことが今回のシンポジウムにいくらか骨格を与えているように私には思えた。

そこでのポイントを圧縮して言うなら、磯崎氏が他の若い世代に向かって、「あなたは歴史の中で自分をどう位置付けるつもりでいるのか」と、自問とも取れるようなとても大きな問い掛けをしていたところにある。
この老練した建築家は、WTCの崩壊を引きながらイコンの崩壊を説き、建築家の作品もこのイコン化からは逃れられないことをシニカルに自覚している。「この先の建築」といったとしても、それは所詮さまざまなイコンの浮沈の1サイクルから逃れることはできない。そこで消費されないためにおまえはいったいどういう戦略をとるのか、歴史の中で自分をどう立脚させるのか、そういう問いが中心にあったと思う。

討議は必ずしも議題に沿ったものではなく、具体的だったり抽象的だったり、時に難解なものになったが、いくつかの言葉の断片から「この先」に対する各パネリストの考えを窺い知ることができた。

例えば山本氏は、抽象化された意思や従来の文化がすり込まれた身体では未来は語り得ない、非常に個人的な意思やなまなましい身体にのみそれは可能で、そこではじめて旧来のイコンを破壊して新しいものを自分の手でつくることが可能だと述べた。小嶋氏はイコンをフィクションと言い換えた上で、差異化のゲームに加わるのではなく新しい編集方法そのものを生み出す建築家でありたいと言う。千葉氏は未来そのものがどうなるかよりもそれが生み出されるプロセスや手続きに興味があると説き、山代氏は国家や都市を超えた人のつながりが生まれてゆく中で、自分が属するべき新しいコミュニティの単位がどういうものになるのか興味があると語っていた。
磯崎氏自身は、歴史のサイクルの中で消費されないようにするための自分用の解答をすでに用意してあって、それが最近言っている「虚体」という概念であり、アンビルトこそが歴史の中で残っていくという論法なのだが、他のパネリストはもっと具体的な、実感できる枠組みの中で考えようとしているように思われた。

実際のところ多くの建築家にとって、建築をつくりながら歴史を意識することなどほとんどないだろうし、各人の時間の概念を根本から問い直すようなこの大きな問いは、面と向かって一言で答えられるようなものではないのだろう。

より具体的な「この先の建築」に関するヒントも散見された。磯崎氏がコンペの審査員をした伊東豊雄氏設計の「せんだいメディアテーク」が、建物がプログラムを誘発するものとして存在している点で「この先」の建築のあり方を示唆しているのではないか、という議論。
あるいは建物の用途変更とは、それまで敷地内のみで完結していた状況を周辺環境まで取り込んで変えていくという点で可能性があるという議論など。行為を収納する器としての建築というイメージ(ハコモノ)から脱け出した、建築がさまざまな行為を生起させるイメージ、プログラムを誘導する場としての建築のイメージが語られた。

「この先」はやはりそう簡単に占えるようなものではない。山本氏の言うように抽象的な言葉でそれを予言してみても意味がないし、個人の強い意思をもってしかそれを切り開くことはできないのだろう。
ただし今回のような場でも個々の意思を自由に参照し合うことはできる。
5世代の建築家が集まって意思が参照されたことで明らかになったのは、結局、世代ごとの違いというよりは個々人の圧倒的な差異だった。扱う言葉の定義にしても質問に対する反応の仕方にしても5人それぞれであり、そこで問題になるのはもはや誰が若く誰が老いているのかということではなく、どの意思がより強固に未来への飛距離をもっているかということなのではなかったか。

シンポジウムを聞いて、改めてもう一度、ギャラリー・間の展覧会場に足を運んでみようという気にさせられた。作品を見返すことで、語られた意思とは別の建築家の側面が見えてくるかもしれない。

撮影=ナカサ・アンド・パートナーズ
小島一浩氏
小島一浩氏
千葉学氏
千葉学氏
山代悟氏
山代悟氏


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