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原広司氏
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妹島和世氏 |
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4時間という時間のなかで、パネリストそれぞれの言葉が単純に同調することは少なかったものの、伊東氏が期待したような深い言葉のやりとりがあったことも事実である。満員の聴衆がメモを取る筆を止め、対話の推移を見守る場面がいくつかあった。そうした場面では、私も息を飲んだ。
対話は、ナビゲーターの寺田氏の進行プランのもとで始まった。順に挙げると、(1)グローバリゼーションの中で日本、もしくは自分をどのように捉えるか、(2)日本、そして東京という都市をどのように捉えるか、(3)20世紀から21世紀へ移り変わった時代の変化をどのように捉えるか、(4)この先の建築のイメージとはどのようなものか、というものである。最も熱を帯び、時間が割かれたのは最初の(1)の部分であって、国際体験の豊かな各パネリストが、それぞれの実感から世界への距離感を語り合った。吉村氏はオランダでの生活体験をとおし、グローバリゼーションが「差異」の文化であることについて、塚本氏はヨーロッパのシンポジウムなどにおいて、環境の問題がつねにグローバリゼーションに付随されて語られていることについて、妹島氏は仕事の仕方の違い、そしてヨーロッパとアメリカの間の環境意識の差について語り、グローバリゼーションの複雑な断面が明らかにされた。
これに対して、集落調査という視点から建築を見つめてきた原氏からは別の「世界」があることが提起される。人口増加や飢餓、都市人口の増大のなかで、住処をもつことができない数十億の人たち。グローバリゼーションとはまた別個の人々への対応はどうなるのかと、鋭い問題提起がなされた。「近代建築は全ての人々に供することができる、という長い射程をもっていた。僕らはそれに憧れがあった」と彼は述べ、都市問題、そして環境問題に関わる対話の焦点を、ヒューマニズムの問題として鮮明に捉えようと試みる。 |
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