インタビュー

過去にも未来にも
とらわれない、
村野藤吾の和風建築

インタビュー
建築評論家/長谷川堯

独自の和の展開というと、まず第一に村野藤吾を思い出す。正統な日本建築ではなくても、不思議としっくりくる村野の和風建築。それはなぜか。そのひとつである「千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)」の和室「しじゅうからの間」にて、村野藤吾の研究者として知られる建築評論家・長谷川 堯さんに話を聞いた。

聞き手・まとめ/伏見唯
写真/山内秀鬼(特記を除く)

和風建築も「様式の上にあれ!」

——今号では、正統な日本建築のスタイルにとらわれずに、日本の伝統的な意匠や材料を用いている建築を特集します。「大阪新歌舞伎座」(1958)の唐破風など、村野藤吾も正統な日本建築とは異なる和風意匠の用い方をしますね。

長谷川 堯 かつて僕は村野さんに、「先生は日本建築をどういうふうに考えて設計していますか」という質問を何度かしたことがありますが、村野さんにはいつも「私のは日本建築なんていうものではありませんよ」と言われました。「和風」と言われるのはいっこうに構わないけど、「日本建築」と言われると困る、という答えだったのです。じつは当時は、この答えの意味がよくわからなくて、村野さん特有の一種の照れのようなものだろうと思っていました。村野さんは、歴史的な日本建築をたいへん尊重していましたからね。ただ、後でだんだんとわかってきたのですが、おそらく村野さんは、伝統的な日本建築の正統性を引き継いでいるととらえられるのを、避けたかったのだと思います。いわゆる大工の伝統的な規矩準縄(きくじゅんじょう)に則って、日本建築を発展させているつもりはまったくない、と彼は言いたかったのだと思います。

——「和風」という言葉には、抵抗がなかったのでしょうか。

長谷川 本人も「和風」という言葉を使っています。彼は、過去に手をつっこんで自分に必要なものだけを取り出してきて、それを現在の建築のデザインとして復活させる、というもののつくり方をしていましたから、日本の過去に手をつっこんで、いわゆる和風建築もつくっています。

>> 「大阪新歌舞伎座」の解説
>> 「道後温泉本館」の解説

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