アメリカで教えられた
「日本の技術は世界一」
炭鉱の町・北海道芦別(あしべつ)で生まれた石出さんが、本格的に建築をやろうと決意したのは27歳のとき。当時勤めていたビール会社の研修でアメリカに渡ったのがきっかけだったという。
「向こうではホームステイに来た人を、勤め先に連れていくのですが、それで設計事務所に行く機会があったのです。すると入り口に大きな五重塔の写真が貼ってあり、『日本の木造技術は世界一だから、われわれは日本の技術に学んでいる』と言われました。びっくりしましたね」
衝撃とともに日本の古建築に強く魅かれた石出さんは、一級建築士資格を取得後、「北海道で一番古建築を手がけていた」藤田工務店に転職し、木を覚え、施工図など現場の実務を覚えていく。ただ、このとき石出さんにとって実務以上に勉強になったことがあった。
「当時、藤田工務店では60人近い宮大工と仕事をしていました。遠いところの大きな現場では、何カ月もその人たちと泊まり込みで一緒に暮らしながら仕事をする。ですから、職人の動きはもちろん、彼らの気持ちも知ることができました」
各種職人たちを含めて、家づくりにかかわるすべての人たちが誇りをもてる家をつくりたい、という現在の想いは、このときから醸成されていたといっていいのだろう。
その後、設計事務所としてアトリエアムをつくり、一時期藤田工務店から離れた石出さんだったが、藤田流の無垢の木を多用した設計を施工できるのは藤田工務店しかなく、次第に再接近。藤田工務店も引き継ぐことになり、HOPの大枠が形成される。





