
「私たちの家」から
「小石川の住宅」へ
林夫妻の亡き後、「私たちの家」は住み手もなく放置されていた。それを忍びなく思っていた遺族が買い手を探していたところから、安田さんが引き受けることになった。どうやら、「何かあれば東工大の先生(安田さん)を頼るように」という林の遺言があったようである。
安田さんが引き受けたということは、「私たちの家」は建築家・安田幸一の自邸になる。建築家にとって自邸というものは、施主のことを気にせずに自分の建築哲学を実現する貴重なチャンスだが、安田さんはそれを改修でよしとした。「ぼくは卒業設計も改修作品で提出しましたし、昔から新築と改修のあいだに境を感じていません。諸条件を読み取り、解を導くのが設計であって、改修のときにはたまたま既存建物があるだけです」と安田さん。
さらに安田さんには、「私たちの家」を引き継ぐにあたって、ある決意があった。それは敬愛する林昌二と林雅子の建築を、時には改変する、という決意である。住宅の設備や構造などは、必要とあれば更新しなくてはならないし、住む人が違えばライフスタイルの違いも露わになるだろう。住宅を住宅として引き継ぐ以上、文化財や博物館展示のようにオリジナル保存ができるわけではない、という宿命もある。保存に義務を感じたら住めないと感じた安田さんは、「林さんには本当に申しわけないけれど、もし自分がこうしたいという希望が生まれたら改修させていただきたいし、自由に増築もさせてもらいたい」と語る。そうした決意とともに安田さんは、「私たちの家」はすでに自分たちの家であるわけだから、住宅の名称を「小石川の住宅」にあらためた。
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