
50年代の小住宅
第1期
55年につくられた最初の「私たちの家」は、17.5坪ほどの小さな長方形の住宅。造りも、コンクリートブロックを積んだ壁にコンクリートスラブの屋根をかけた、シンプルなものだった(竣工時の原図)。50年代は、清家清の「森博士の家」(51)や増沢洵の「コアのあるH氏の住まい」(53)などのように、戦後体制下における資材や建坪の規制があるなかでも、数々の名作が生まれた時代であり、「私たちの家」もまた、そうした50年代の小住宅のひとつだった。コンクリートブロックの構造壁と大きな建具が適切に配置され、きびしい制約のもとで生まれた秩序と緊張感が、現代にも通じる合理性となり、名作たらしめている。この頃の「私たちの家」は、後に第1期と呼ばれている。
この第1期を、林昌二は「手持ちのお金とぎりぎりの借金でやっと建てた家でしたから、無駄はもちろん余裕も全くない家でした」(『私の住居・論』、丸善)と述懐しており、林にとって改修や増築の余地のある住宅であった。実際、竣工から9年ほど後に屋根スラブの下に断熱材を貼り、北側に収納部を増築するなど、「少しずつ住まいらしい体裁」が調えられている。
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