内藤邸は、構造内藤、デザイン木子、助手今井でやっているから、その関係をそのまま山口邸に移したのだろう。
 とすると、スパニッシュのデザインは木子の手になるとみられ、傍証もあり、木子はこのほかにもたくさんスパニッシュを手がけている。たとえば愛媛県庁とか芦屋と東京の新田邸とか。
 アメリカの旧スペイン領に源をもつこの歴史的スタイルは、19世紀に入りアメリカの西部と南部で一世を風靡した後すぐ太平洋を越えて日本に上陸し、結局、アメリカと日本の2カ所でしか広まらなかったという少し変わった歴史をもつ。日本には大正11(1922)年に上陸し、昭和に入ってから広まるから、木子は様式の流行に敏感だったことがわかるし、県庁と住宅を同じスタイルでやるというのも見上げたもの。
 スパニッシュという歴史的様式は、意外かもしれないが、20世紀モダニズムに一番近いスタイルだった。全体の形は、四角形を基本とし、デコデコ飾り立てずアッサリ仕上げるし、外壁の仕上げも白っぽい。木子がこのことを自覚していたかどうかは知らないが、武田五一はスパニッシュのモダンな性格を語ってもいるし、試してもいる。
 ギリシャ・ローマ以来の歴史的スタイルを範とする歴史主義のデザインのなかでは、最後に、モダニズム誕生直前に登場するのがスパニッシュなのである。
 壁面をアッサリとより無装飾に仕上げるのがスパニッシュの本旨とすると、木子は、歴史主義と長年月修練した自分のデザイン力をどこに注いだのか。それが、壁面からはひとまず離れた家具や電灯などの、工芸的領分だった。山口邸は、工芸的領分こそ見所にちがいない。


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