藤森照信の「現代住宅併走」
第29回
旧山口萬吉邸
設計/木子七郎
遙かなるスパニッシュ・デザイン
文/藤森照信
写真/秋山亮二
靖國神社と道を隔てた住宅地に、スパニッシュのいいのがあることを知ったのは、1974年に建築探偵団を開始したときだった。
たまに通りかかると窓にあかりがついているから住んでいることはわかったものの、中を見せていただくツテもないまま歳月は流れ、このたび初めて取材することができた。28のときに知り、68にして入る、というのは、私の建築探偵稼業のなかの“最長不入記録”。
久しぶりに訪れると、周囲の光景はすべて変わり、変わらぬは「旧山口萬吉邸」(27)のみ。うっそうと茂る庭木の様子も昔のままなのがうれしい。
出迎えてくれた建主の山口萬吉の孫に当たられる裕子さんにさっそく家の来歴をうかがう。
まず、山口萬吉のことから。山口家は越後は長岡藩の武士であったが、山口萬吉家(歴代萬吉)の祖は次男ゆえ、商人となり、長岡で唐物屋を営んで財をなし、江戸へ出た。その富のおかげで長岡きっての地主となったという。
明治維新後は、百貨店を開いたり、石油会社や銀行の設立発起人となったりして近代化の波にしっかり乗り、その段階で、この家を建てた祖父の萬吉の代になる。萬吉は、慶應義塾大学に入り、家業のかたわら財界人として活躍したと聞く。
“財界人”としかいいようのない人物が戦前にはいて、いろんな企業や組織に頼まれて社長をしたり顧問をしたり、たとえば今の原美術館(旧原邸)の原邦造も、江戸東京博物館に室内実物展示される「山の手の家」(旧福本邸)の福本貞喜もそういう財界人。
その山口萬吉は慶應出身なのに、どうして早稲田の人脈に設計を頼んだのか。