特集5/独学の建築家

和菓子屋から建築家へ転身

作品/礫明 第一期
設計/川口通正+川口琢磨

和菓子職人から一転して建築家になった川口通正さん。今に至るまで、どのような道を歩んできたのか。自邸「礫明」の設計で今一度人生を振り返る川口さんにお話を聞いた。

聞き手・まとめ/伊藤公文
写真/傍島利浩

和菓子屋から建築業界へ

——川口さんは和菓子屋さんで修業された経験があるそうですね。

川口通正 16歳から18歳の2年半ほど、家庭の事情で和菓子屋に預けられ、小さな部屋で寝起きし、昼間は高校に行き、帰ってから和菓子づくりの手伝いという生活をしていました。

——自分の意思でその道に入ったのではないということですか。

川口 そうです。逃れられない場に投げ込まれた。でも、後から思えば珠玉のような時間でした。美しく繊細な形。豊かな季節感。そういう世界とは無縁だったので感動がありました。その経験がなかったら、今の私はなかったかもしれません。

——そこから建築へと急転回したわけは。

川口 家業が塗装屋(ペンキ屋)でしたから、流れからすると私も同じ職業に就くはずでした。しかし塗装屋の職人にはなりたくなくて、先は見えていませんでしたが、別の道に進みたいと思いました。それでも見聞も知識も少ないので選択肢は限られ、家業の延長線上の何かということでした。

——設計を志すきっかけは。

川口 原田康子の小説『挽歌』(東都書房)が映画化されて、主人公の建築技師を仲代達矢が演じていたのですが、ものすごくかっこいい。たまたま見た「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(64)の建設記録映画のなかで、丹下先生がそびえるカテドラルを見上げる姿がじつにかっこよく、あこがれました。不純な動機ですね(笑)。

——そうして手探りで始められた。不安はありませんでしたか。

川口 同じような境遇の人、つまり逆境や不遇を乗り越えて自分の進む道をつかみ取った人のことを調べてみたら、結構たくさんいる。作家の水上勉や松本清張、作曲家の武満徹、俳優の仲代達矢。そういう人たちのことをよく知ると、自分もなんとかなるかもしれないと元気が出てくるのですね。

>>「映水庵」
>>「礫明 第一期」の図面を見る

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