職人は作業員ではない
という信念
秋元さんが平成建設を起こしたのは、その名のとおり平成元(1989)年。ハウスメーカーでトップセールスを続けた後の独立だった。「この仕組みをつくりたかった」(秋元さん)というのは、独立以前からこのままでは職人がいなくなってしまうという危機感があったからだ。起業後、指導もできる職人も含めて10人単位でスタッフを増やし、職人の量、質を少しずつ充実させていく。
しかし、体制が整ってきたからといって、すぐに住宅市場に打って出たわけではない。「経営的に考えれば、住宅は大変。会社が未熟な状態で手を出すべきではないと思っていました」(秋元さん)とのことで、集合住宅や病院、店舗などをもっぱら手がけ、会社の体力を養っていく。
ただ、「職人は、作業員とは違う。生産性を追い求めて作業を単純化すれば、職人のやりがいが失われる」というのが、当初からの秋元さんの信念。会社の体力を養う時期でも、その思いは変わらなかった。いい例がハイグレードの賃貸集合住宅である。ハイグレードの仕様にするには、工事も手間がかかる。
「丁寧な職人仕事を評価してもらうことで、誇りがもてるようになる」(秋元さん)のは確かだが、一方できちんと賃貸住宅として需要がなければならない。「こちらのやりたいことを理解してくれるお客さんがいないとできません」と秋元さんは言うが、空室どころか人気物件となっている実績と信頼があるからこそ、理解してもらえるともえる。秋元さんの大胆にして緻密な戦略である。





