ドアではなく、引戸を開け、応接間に入って、不安は消えた。
 椅子・テーブルの向こうの壁のデザインを見ていただこう。出窓状にし、開口部の外にはガラス戸と雨戸、内側には障子をはめ、障子を引いてガラス越しに外を眺めると、障子位置の丸柱の向こうにガラス戸だけがあるように見える。柱や壁のラインとガラス窓のラインを分離するというのは、ル・コルビュジエが近代建築5つの原則の3番目に挙げた自由なプランの具体的方策にほかならず、日本においてはレーモンドが33年「軽井沢夏の家」でコルビュジエに先駆けて試み、さらに40年には吉田五十八が「惜櫟荘(せきれきそう)」で巧みに採用した。コルビュジエというよりレーモンドのやり方に学んだと思われる。覗き込んで丸柱の裏を確かめると、角柱が立ち、ガラス窓と雨戸を受け止めている。室内から眺めてどこからも角柱は見えないことから、ガラス窓と雨戸の戸当たりのためしかたなく立てたにちがいない。
 障子を立てる(閉める)と、枡を小さくかつ正方形にデザインした障子の中心に丸柱が立ち、このシーンを目にして、これは“木造モダニズム”だと判断し、戦後の純木造の「乃木神社本殿」(62)や木造を意識した「国立能楽堂」(83)を思った。20世紀のモダニズムと木造の伝統のふたつを意識し、細身のプロポーションを好む一方、数寄屋的な崩しとやわらかさは排し、凜とした筋は守る。
 大江の後の資質をうかがわせる造りだけでなく、暖房のためのいかにもの“若描き”も見られ、掘りゴタツかオンドルからの着想であろう、床下に練炭コンロを置き、床に格子を組み、格子越しに上昇した暖気を床内に広がらせる工夫もしている。室内の壁に大谷石を積み、上部を棚状にしつらえていることから美学的には暖炉を意識している。
 全体を見渡し、木造の伝統と20世紀モダニズムを念頭に置いて特徴を列記しよう。

① 柱、長押は見せず、漆喰の大壁
② 障子、引戸を使う
③ 独立丸柱
④ 水平性を強調した段違いの棚
⑤ 外観は屋根を見せる
⑥ 外壁は縦羽目板張り

 木造で屋根を見せるという造りの大筋は伝統に従うが、外壁は非伝統の⑥、内部においては、②、④で伝統を、①、③で20世紀モダニズムを取り入れている。そして、伝統から持ち込んだ②、④もモダニズムとの親和性の強いことを思うと、「軽井沢夏の家」から始まる“木造モダニズム”のひとつと判定していいだろう。
 これまで日本独自の20世紀建築として“木造モダニズム”という概念を提唱し、藤井厚二、吉田五十八、堀口捨己、レーモンド、土浦亀城、前川國男、丹下健三、吉村順三らの木造を取り上げてきたが、大江宏もこの視点から検討可能なことを確認できてうれしかった。
 もうひとつ、細身の円柱に見られるように、すぐれた建築家はデビュー作から変わらぬ資質を発揮するのもうれしかった。


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