地震をきっかけに本格的に参入

 サラリーマンをしていた江㟢光彦さんが、実家が始めていた不動産会社・大弘に入ったのは1978(昭和53)年のこと。それまでは賃貸経営などが会社のおもな仕事だったそうだが、江㟢さんが戻るのと時をほぼ同じくして、住宅部門を立ち上げた。江㟢さん自身は、事前に知り合いの注文住宅の会社を見聞していて、注文住宅事業の難しさを知っていたから、最初から分譲住宅一本。ただし、そこから少しずつ現在のエサキホームになってきたわけではない。転機は95年の阪神・淡路大震災だったという。
「地震直後から、木造住宅が売れなくなってしまって、その状態が半年以上も続きました。それで、これはもっと組織的に取り組んでいかないといかんということで、大きく変えることにしたんです」
 それまで続けていた賃貸事業などの他部門をすべて切り離し、96年に分譲住宅を専門に扱う「エサキホーム」として新たなスタートを切る。すべて外注していた設計や施工を社内で行うようにしたのもこのときから。企画から設計、施工、販売、さらにアフターメンテナンスまで、一貫生産の体制で取り組むようになった。

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