バッテンの働きについて富永さんは、
「斜材の交差は面内の位置を決定づけるから、垂直と水平のみの単純な柱梁構造の場合よりその要素の統合力は著しく強められているように思う。家具が入り、雑多な日用品が入り、本や用具が散乱するときも、それらを位置づけ、全体へと結びつける変わらぬ強い統合要素である」。
空間を統合するバッテン。バッテンがおもに外壁に入っていることを考えると、ちょうど荷物を紙で包んで紐でグルグル縛るように、雑多な物を納めた狭い家という梱包がバッテンのおかげでまとまりを保っている。
梱包のたとえはけっこう正確で、この空間のポイントは、富永さんが言うように、バッテン状構造体の内側と外側に2枚の表皮、具体的にいうと内側は障子という内皮、外側はサッシ窓という外皮があり、バッテンという紐と内外2枚の皮で、この、平面は細長くて立面は縦長という不安定きわまりない空間は包まれ、辛うじて形を保っている。
室内の仕上げの決定にあたり、富永さんは“ポリエステル化粧板”を使った。当時、家具の表面にのみ張られていた仕上げ材だ。普通ならシナベニヤかクロス張りにするところをそれよりずっと硬質な材を持ち込んだのもいい効果を生んでいる。バッテン木材は目に強いから、普通の仕上げでは木材が勝ちすぎてバッテンが浮き出て見えるが、ポリエステル化粧板の硬質さがバッテンの浮上を抑え込み、壁面の素材感バランスを保つことに成功している。
一巡し、小夜子夫人からパスタをご馳走になり、ふと思いついてもうひとまわりした。ヤハリそうだった。外を見やすい高さに窓が開いていない。この空間は外に向かって閉じている。
すでに、「住吉の長屋」(76/『TOTO通信』97年VOL6:原・現代住宅再見5)や「中野本町の家」(76/『TOTO通信』98年VOL3:原・現代住宅再見8「黒の回帰」文中)などで述べたように、1970年代、私たち野武士世代は、精神的にもつくる住宅も自閉していた。野武士は城に依らず野山に伏し隠れていたことから“野伏し”とも書くが、富永讓も、安藤や伊東に負けず劣らず川崎の藪のなかに伏せていたことを知り、うれしかった。





